リレーコラムについて

大晦日

栗田雅俊

いつものことだが
列車は満席だった。

大晦日の新幹線は帰省客でごったがえしており、
通路にまで人があふれていた。

ABCの3席シート。真ん中の席に僕はひとり座っていた。
両サイドには男性客。

そのとき「あ」という声が聞こえた。

左の男が、500ml缶のビールを全部こぼしていた。
僕のほうにこぼしていた。
靴とズボンがじわりと濡れていく感覚。

慌てる左の男に
「大丈夫です」と僕は言った。
こういう時に冷静になるのが真の紳士である。

問題は足元のビールだった。
ビールの海は、静かに、だが確実に、その範囲を拡大していた。
“super dry”の名に反して、びちゃびちゃである。

拭くものがない。
「車掌さんを呼んだほうがいいですね」と僕は言った。

すると、左の男はこう答えたのであった。

「こんなに混んでるのに、来ますかねぇ〜?」

えっ?
一瞬、脳が混乱した。
まさかここでそういう反応がくるとは思わなかった。
なんでたしなめられるニュアンスなんだ。

こういう時、何て言えばよかったのだろう。
「たしかに来ませんよね。変なこと言ってすいません笑」
だろうか。

だが床のビールはどうする。

僕の中で、何かのスイッチが入った。
遠方に車掌さんの姿が見えるやいなや、
普段は出さない大声で呼んだ。
「すいませーん!」

車掌さんは、正直忙しそうだったが、
拭きとり紙を用意してくれた。
ほっとした。

だがここでまた問題が発生した。
座席の位置である。

主犯の男は左端かつ、
目の前にスーツケースを置いており、
右に広がったビール海に手が届かないのであった。

ちらりと右を見た。
右の男は、なんと弁当を食べはじめていた。
嘘だ、このタイミングで?

結局、僕がぜんぶ拭くことになった。
とほほ。とんだ大晦日だ。

左の男が
「あ、ここ濡れてる…」
と足元を見てつぶやいた。

・・・。
僕は拭いた。

右の男が、
生姜焼きを食べながら、無言で足をずらした。
海がそこまで広がっている、ということを
教えてくれたらしかった。

・・・。
僕は拭いた。

見上げると、
車掌さんが、めんどくさい人を見る目で僕を見ていた。
それはそうだ。彼からしたら僕が犯人だろう。

ふいに、
泣き叫びながら
すべてをなぎ払いたい衝動にかられた。

あとひとつでも何かあったなら
火の七日間で世界を滅ぼしたかもしれなかった。

真の紳士であることは、簡単なことではない。

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