生きてて良かったと思いたい。
生きてて良かったと思うことがある。
中学3年生からはじめたアメリカンフットボール。
大学4年生までつづけた。計8年間、没頭した。
試合に勝つのはもちろん嬉しいけど、
ハドルの瞬間が嬉しかった。
アメフトでは、円陣のことをハドルと呼ぶ。
試合中は、作戦を共有するためにハドルを組む。
「オールメンハドル!」
試合の前後には、声が枯らすほどの熱で、
全選手、全スタッフで気持ちを鼓舞していく。
この半径3メートルは、無敵だと思った。
気持ちがつながり合い、すごく生きている感じがする。
試合を決するビッグプレーが飛び出した時には、
スタジアムがひとつになる確かな手応えがあった。
この一体感が、大好きだった。
あぁ、生きてて良かったなぁと思える。
感情がこぼれだして、目頭が熱くなる。
それはきっと、僕の中学時代が、
圧倒的に孤独だったからだと思う。
友達もいなくて、休み時間は本の世界に逃避して、
放課後に居場所はなくて、逃げ帰るように家に帰り、
録画した「笑っていいとも!」を見るのが唯一の生き甲斐。
人との関わりに飢えていた自分が、
何か起こしたくて飛び込んだのがアメフトだった。
世の中に一体感をつくりたい。
もしつくれるのであれば、そのためであれば、
僕はどこまでも生き生きとがんばれる。
そのつながりは、誰かを変える。誰かを孤立から救う。
そんな志を持って、電通という会社に入社した。
一体感のはじめの「一」を、言葉でつくる。
それを僕は今、コピーライターでしようとしている。
これまで自分が歩んできた曲がりくねった道に、
ちゃんと答えはあった。
もしも、目の前の会社の仕事に心が入らないなら、
自分の面白いを見つける努力をしないといけない。
もしも、誰かにとって都合のいい自分でしかなくて、
胸が苦しいなら自分の仕事を切り拓かないといけない。
ただ、新しいことをはじめても、
すぐに評価される訳ではない。
そんなに社会と会社は甘くない。
場合によっては、また遊びみたいなことやって、
金にもならないことやって、そんな風に見られる。
簡単には伝わらないから、新しいことなんだ。
だけど、だんだんと弱気になる。
会社の中で、評価項目に沿って加点されたり減点されたり、
金銭がからむフィードバックを受けると、戸惑う。修正される。
少しずつ、少しずつ、そのものさしが、
自分にとって大切なものさしになってきてしまう。
だから手が止まる。足が止まってしまう。
自分がやりたかったことは、消える。無かったことになる。
誰かの決めたことを当たり障りなくこなす、
これまで通りのお決まりの日々がはじまる。
でも、そういうことじゃない。
もしそれが、本当にやりたいことなら、
本当に信じることなら、つづけないといけない。
逃げない。やるべきこと、果たすべき責任を越えた上で、挑む。
それは勉強かもしれない。
それは文章を書くことかもしれない。
それは企画することかもしれない。
仕事が終わって眠るまでの数時間。
みんなが楽しく遊んでる休日。
誰よりも深く悩んで、
なんでこんなことしてるんだろうと思っても、
なんでだよと愚痴をこぼしそうになっても、
笑われたり、先行きが見えなかったとしても、
自分の心をつかいまくって、
誰かの心を奮い立たせる何かをつくらないといけない。
やり抜かないといけない。それが自分の選んだ道なら。
2013年、27歳。だから僕は、
ラブレターみたいな企画書をつくって、
会いたい人に会いにいった。仕事をつくりにいった。
もう待たない。コピーを書きに行く。
めちゃくちゃ大変で、いつも楽しかった。
目の前によろこんでくれる人がいる。
お金や人やモノも少しずつうまくまわりはじめる。
そこに自分がいる。すごく生きてる心地がした。
仕事に対する向き合い方が根底から変わっていった。
その年の暮れ、
「今でしょ!」は流行語大賞になった。
制作チームのひとりとして携わった仕事。
自分が面白い!と信じた一言が、
みんながつかう言葉になっていた。
ラーメン屋に入って、
隣の席に座った若い夫婦と小さなお子さん。
「いつ食べるの?」「今でちょ!」
そう笑いながら言い合っているのを見て、
生きてて良かったと思った。
(つづく)
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