素粒子 不確定性原理 神様
モノを細かく分割してゆくと、分子になる。分子を分割すると原子になり、原子は陽子と中性子と電子に分けられる。さらに陽子や中性子はクオークやニュートリノと呼ばれるもっと小さなモノで構成されていて、それらは素粒子と呼ばれる。大きさは「最大」でも、だいたい0.0000000000000000001mmくらいだ。0をタイプしていても笑えるくらいに、とてもとてもとても、とても小さい。
誰にでもあることだと思うが、大人になり、多くの人々とこの世界を分かち合いながら暮らしていると、辟易するような状況に出くわす。満員電車の中で人々の意思が絡まり合い、全員が出口を見失っているような状態だ。そんなとき、対面しているその状況をすべて素粒子の振る舞いと捉えると、なんだかすこしだけ落ち着く。
会議室で会議が混迷しているとする。ある部長Kが取引先の部長Sに対して腹を立てている。S部長の用意するプランは、筋は通っているのだがK部長の社内立ち回りという観点からのみ考えると、上層部を通すのが厄介で面倒くさい。そのわりに本人にとってウマミがない。それはみんな分かっている。分かっているが、そこにいる人々はみな、海底に300年間ひっそりと生息し続ける二枚貝のように口を閉ざしている。
その時、自己実現だけを考えているK部長の脳という生体器官も、沈黙を続けるS部長が座っている椅子のスチールも、その会議室を会議室たらしめる壁や窓ガラスも、すべて素粒子できていているのだ。そう考えると、なんて清々するのだろう。沈黙の会議室に窓から陽の光が差し込んでいる。
子どもの頃、光は波だと思っていた。だからアニメなどで光の粒が手から溢れるような表現を見たりすると、光はモノじゃなくて波だからあんな状態にはならないのに、などと妙にマセたモノの見方をしていた。だがその少年は知らなかったのだ。1905年、アルベルト•アインシュタインが光には粒子のような性質をもつことを発見していたことを。
この世界を構成しているモノが、波のようなものなのか、粒のようなものなのか、あるいは、まったく違うナニかなのか、ということに関しては、頭の良い人たちがいろいろな仮説を立て、実証実験を繰り返しているが、完全に解明されていない。カンタンにいえば、この世界がなんなのか、僕たちは分かっていないのだ。ゴダールの映画のタイトルを借りよう。「Hélas pour moi.(ああ、なんてことだ)」
素粒子はおもしろい。素粒子である電子は原子核の周りに存在しているが、電子がどこにあるか、ということは確定できないらしい。それを「不確定性原理」と呼ぶ。近寄りがたい雰囲気を醸し出す言葉だが、「その日は都内にはいるけど、どこにいるかは分からないな」という返事を広告代理店の担当営業に伝えるクリエイティブディレクターのような振る舞いをしているということだ。なかなか人間的じゃないか。そしてさらにおもしろいことがある。この都内のどこにいるか分からない電子は、どこにいるかは確定できないけど、どこにいる可能性が高いか、ということは難しい方程式を解けば導くことができる。「シュレーディンガー方程式」というこれまた近寄りがたい名前の方程式だが、どうしてもクリエイティブディレクターをつかまえたいのなら担当営業はこの方程式を理解すべきである。そして驚くべきことに波のような性質を持ち合わせながらぶらぶらしている電子は、観測者が観測をすると、居場所が一点に確定するのだ。つまり、電子は人間が観測した瞬間に、波から粒子になるのだ。クリエイティブディレクターの視点でいえば、とあるバーのカウンターで「見つかってしまった!」と、そこに「出現」する。
とても人間的な電子の人となりが伺えるこの理論は主にボーアという天才科学者が提唱したのだが、この存在に確率を持ち込む理論をずっと否定し続けていたもうひとりの天才がアインシュタインだ。「神は采を振らない」という有名な発言はこの理論を否定するときの言葉だ。かっこいい、とても。
天才が天才を否定するような議論にはまったくついていけないので、その一流競技の様子をスタンドから観戦するように楽しませてもらっている。
この世界の仕組みを表現する方程式や理論はたいていシンプルで美しい。「E = mc2」「eiπ + 1 = 0」など奇跡的な方程式が存在するし、この世界に存在する力はたった4つに分類され、それらの名前は「電磁気力」「重力」「強い力」「弱い力」と名付けられている。「強い力」「弱い力」は、素粒子によって生まれる力だが、まるで詩の中の言葉のように聞こえる。なんて美しいのだろう。
4つの力の中でいちばん馴染み深いのが「重力」だと思う。だがじつは4つの力のうち未だ解明されていないのが「重力」である。一般的には時空のゆがみ、と解釈されているが、その理論を裏付けるような重力波らしきものが観測されたのはごく最近だ。最近ではそもそも「重力」というもの自体が存在せず、エントロピーのような考え方で諸説を統合できないか、というような論文も発表されている。こちらもまったくついていけないが、すくなくとも子どもの頃、「重力」という基本的なことに関しては「よく分かっていないが」という枕詞のついた理科の授業を受けたかった。
ニュートンがずいぶん昔に提唱した万有引力の法則は2つの物体間の距離の二乗に反比例して働くため、机の上の消しゴムと鉛筆をくっつけたら離れなくなるはずなのに、と一生懸命に三菱鉛筆をトンボ消しゴムに押し当てていたあの頃。その先に一般相対性理論とアインシュタイン方程式というものがあることを教えてくれる大人はいなかった。文部科学省のくれる教科書はいいかげんだ。そこには「現時点では間違っていない」ことしか書かれていない。よく分かっていないことは、よく分かっていないから書かれていないのだ。
この世界をよく分からなくしてくれている神様はなかなかサービス精神旺盛だ。よく分かっていないこと、は、おもしろい。よく分かっていないことを見つけるために、今のところ分かっていることを理解するのが勉強だ。この世界のことはよく分かっていない、と教えてくれる大人が増えると、この世界はもっと楽しくなるのに、と手遅れの大人になったいま、思う。
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