リレーコラムについて

独立顛末記その二<立志篇>

蛭田瑞穂

僕は2007年4月1日、35歳で電通に入社したので、
2016年、入社10年目に45歳を迎えることになる。
45歳、10年目。これは大きな節目だと数年前から感じていた。
その先の人生をどう生きていくか、自分で決めなければならない。
具体的に言うと、会社に残るか、会社を辞めるか。
その決断を45歳でしようと考えていた。

そして、2016年5月2日に僕は45歳になった。

とはいえ、重大な決断を45歳になったその日に下すことなどとてもできない。
そこで僕は1年間の猶予を自分に与えることにした。
1年じっくり考えて、答えを出してみよう。

その猶予期間のさなかの9月下旬、
社内のポータルサイトに早期退職者募集の告知が載った。
要項を見ると対象者は「45歳以上」とある。
運命だと思った。

数日後の10月6日、
僕は代官山グッドデザインカンパニーのオフィスの屋上にいた。

グッドデザインカンパニー代表の水野学君とは
お互いが20代の半ばに茅ヶ崎の海辺で出会った。
水野君は当時ドラフトに在籍しており、僕はサン・アドにいた。
詳しく説明すると長くなるので思いきり端折るが、
水野君とはコピーライターとアートディレクターという
職業上の関係で出会ったのではない。
地元茅ヶ崎の友だちの友だちというような関係で出会った。
その共通の友だちの結婚案内をつくるのが僕と水野君の初めての「仕事」だった。

グッドデザインカンパニーの屋上で僕は水野君に独立の意志を告げた。
その話を誰かにするのはもちろん初めてだ。
水野君は言った。「俺はそのほうがいいと思うよ」
そして、その理由を簡潔に話してくれた。それで僕の決意は完全に固まった。

独立とは文字どおり、独りになることである。
でも、水野君と話をして、独りを恐れる気持ちがなくなった。
むしろ、なぜかはわからないが、独りこそ怖いものなしとさえ思えた。

その日、グッドデザインカンパニーの屋上から眺めた空は、
夕日に染められたうろこ雲が一面に広がっていた。
ほんの少し強い風が吹いていた。
その情景を僕は絶対に、一生忘れないだろう。

NO
年月日
名前
5805 2024.11.22 中川英明 エキセントリック師匠
5804 2024.11.21 中川英明 いいんですか、やなせ先生
5803 2024.11.20 中川英明 わたしのオムツを替えないで
5802 2024.11.19 中川英明 ドンセンパンチの破壊力
5801 2024.11.18 中川英明 育児フォリ・ア・ドゥ
  • 年  月から   年  月まで