独立顛末記その三<怒涛篇>
早期退職の申請書類は人事局へ提出するのだが、
それにはまず局長の印をもらわなければならない。
10月28日の金曜日、局長にその旨を伝えに行くと、
一度預かったあと、週明けの月曜日に連絡をもらうことになった。
翌週の月曜日の夕方、局長室に呼ばれ、無事に印をいただくことはできたが、
その際局長から僕の所属部長とさらにその上のグループ長には
この件に関して話をしたことを伝えられた。
当時僕は「木下部」という部に属していた。部長はCD / CMプランナーの木下真。
部長とはいえ、年齢が同じだったので、僕は敬語を使うこともなく気軽に話していた。
そして席は僕のすぐ右隣だった。
局長室から席に戻ると、木下真がデスクで作業をしていた。
僕を特段気にする様子はないが、彼は知っているのである。
僕も平静を装い仕事をしていたが、やはりどこか気まずい。
21時をまわり、人影もまばらになった頃を見計らって、僕は木下真に声をかけた。
その日、ふたりで飲みに行くことになった。
退社の理由や先の展望など、僕がひととおり話し終えると、
木下真が言った。「じつは俺も(早期退職を)考えたんだよ」
その時点で僕はその言葉を額面どおりに受け取らなかった。
「俺も少しは考えたから蛭田の気持ちはよくわかる。だから会社を辞めてもがんばれよ」
という彼なりのあと押しだと感じた。
だから2週間後の11月15日、申し込み期間の最終日に、
申請書類を人事局に提出したことを本人から伝えられた時、僕は心底驚いた。
ここから僕と木下真は独立に向け、同じ舟に乗ることになる。
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僕と木下真はまずコピーライターの後藤国弘さんと李和淑さんに会い、
独立への指南を仰ぐと同時に、会社登記に関わる一切の手続きを
サポートしてくれる方を紹介していただいた。
その後、僕と木下真が一緒に担当していたあるクライアントの仕事が
独立後も継続できる見通しが立った。
クライアント本社の近くに、共同でオフィスを借りるという話が不意に持ち上がり、
南青山骨董通りを中心に物件を探し始めた。
一方で僕らは退社の準備も進めなければならなかった。
仕事の引き継ぎ。上司や先輩、同僚へのあいさつ。
苦楽を共にしてきた営業へのお礼。退職者向け説明会への出席。
それらすべてを12月のひと月でやらなければならなかったため、
結局僕らはオフィスの契約などいくつかの懸案を積み残したまま舟を漕ぎ出すことになる。
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仕事納めがとうに過ぎた12月の暮れ、ひと気のない電通21階のフロアで
僕と木下真は最後の荷物整理を黙々とやっていた。
日が落ち、室内が暗くなるが、主電源が切れているせいか、
スイッチを押しても室内灯が点かない。
仕方なくデスクスタンドの明かりで作業を続ける。
薄闇のオフィスの中で、あと数日で会社員でなくなることの寂寥を感じながら、
僕の9年と9ヶ月に及ぶ電通人生は幕を閉じようとしていた。
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