眼鏡。
事務所のHPにも、私はブログを書き連ねています。
毎日のように書き続けることもあれば(これが当たり前)
まったく更新が止まってしまう、気儘を繰り返しています。
いまは、未曾有の氷河期を迎え、ブログはカチカチに凍り付き、
春の気配もない状態になっています。
そもそもブログを書くきっかけになったのは、
仕事の肩慣らしになるのではないか、と考えたから。
しかし読んでいる人を練習台にするのも失礼なことで、
あるときから、自分なりに気合いを入れることになりました。
しばし更新が止まっているブログですが、きょうは、
その中から、恐らく、2年ほど前のものを再掲することにしました。
ご一読ください。
暮れから正月にかけて、眼鏡が3本なくなった。1本は恐らく暮れ、最後の
忘年会だろう。店に忘れてきた、と思い込んでいる。確率は、五分五分。
電話をしているのだが、正月休みなのか、出ない。まだ連絡が取れていない。
もう1本は、ベッドの脇にでも落としたのだろうと高をくくっていたが、
いざ探してみれば、まったく姿が見えない。いや、仕事場のデスクの上だ、
と記憶を修正してみたが、仕事場に出てみるとやはり机の上には影もない。
困ったので眼鏡チェーン店に行き、セール品を購入した。探し物は探すだけ
では出てこない。自分の探査能力もあるだろうが、あきらめて新しいものを
買ったときに、姿を現す。このおまじない結構効くのだが、お金がかかる。
さて、買った眼鏡を眺め、具合を確かめている内に、コートのポケットとい
う新しい「隠れ家」が思い浮かんだ。出掛けてそのまま着ていたコートに、と
思ったのだが当てが外れた。コートではなくジャケットのポケットだった。
電波でも発信しているのではないか。と疑いたくなるように、新しい眼鏡を
入手してから、遭難眼鏡が発見される。ワタシハココニイマス。加えて、別
の鞄から電波が届けられ、そこに眠っていた眼鏡が生還した。私の不注意か。
生まれてから目は丈夫で、充血する以外は、あまり問題を感じてこなかった。
眼鏡を必要としない目で、ずっと生活できてきた。その恩恵は大きなもので
あったことが、老眼になって初めてわかった。ないと、なにも読めない毎日。
妻は強い遠視で、若い頃は分厚い眼鏡をかけていた。眼鏡自体も重くなり、
その影響が肩こりなどに出ていた。眼鏡のいらない人はいいな、とよく言わ
れたものだが、当時、その幸運を実感したことは、あまりなかった。
いまになって、その幸運を感じながら、眼鏡のある生活の不便さを実感して
いる。暮れの打合せで、配られた資料を読もうと鞄の中をまさぐると、出て
来た眼鏡が、3Dメガネ。飛び出す企画書かよ。スタッフの失笑を浴びた。
失せ物は、いまも後を絶ちません。眼鏡に始まり、携帯、財布、鍵、
いろいろなものが私の前から姿を消します。
それはまるで奇術を見ているようでもあります。