リレーコラムについて

ナカハタ創業始末  

佐倉康彦

〜其の肆〜 ドクターK登板

 繋がったラインの向こうから聞こえる落ち着きのあるMの声。穏やかで温厚
な彼の風貌を思い浮かべながらも、ぼくの声は上擦ったままだった。
 「じ、じつは、相談したいことがあるんだ」
 いつもの喋り方ではないことにMも気づいたようだ。受話器の向こうも固く
緊張し強ばった気配が伝わってくる。
 「どうしたんですか、さくらさん?」
 数時間前に交わしたオヤジとの遣り取りの一部始終をMに伝える。喋りなが
らアドレナリンが相当量放出されていくことがわかる。瞳孔も開いてるかも知
れない。鼻血も出そうだ。なかなか上手く説明ができない。
 要領を得ないぼくの話に、ひとつひとつ頷き返してくれている様子のMの柔
らかな気のようなものがぼくに伝播する。それが、ありがたかった。ぼくも少
しだけ落ち着きを取り戻す。
 Mには、オヤジがもう一度会社を興そうとしていること。その創設メンバー
に、Mとぼくが入っていること。そして、そこにはもうひとり、K先輩の名前
も挙がっていること。ぼくが一通り話し終えると、Mは静かに透き通るように
答えた。
 「それは素晴らしい。ぜひ、やりましょう」
 既に自分の会社を持っているにもかかわらず、1秒たりとも逡巡しなかった
Mの決断の早さと、その聡明さにちょっと震えながらも、ぼくはさらに話を進
めた。
 「うん、ありがとう。でね、Kさんにもすぐに知らせて、3人で近々会えな
いかな」
 「ですね。早いほうがいい」
 「なかはたサンのことだから、早くこっちでまとめないと、あの話、もう飽
きちゃったからヤメッ。とか言い出しそうで」
 「あはは、なかはたサンせっかちだからなぁ」
 「じゃあ、またすぐ連絡する」
 Mとの電話をひとまずは切り、K先輩のケータイ番号をアドレス帳から探す。
ホテルのロビーでケータイ片手にひとり小躍りをしそうな勢いの、かなり風体
の悪いオヤジを避けるようにして宿泊客たちが足早に通り過ぎていく。
 K先輩は、当時、外資系の広告代理店に籍を置いていた。その前は、汐留に
ある巨大代理店というきんぴかな経歴の持ち主だ。その頃の世界中の広告賞を
獲りまくっていたアメリカのスポーツシューズメイカーを担当し、本国のポー
トランド本社のスタッフとも仕事をしていた。そんなK先輩が、今回の話に乗
ってくるのか。一抹の不安は残ったが「ええい、ままよ」とK先輩のケータイ
をコールする。呼び出し音1回で繋がる。
 「もしもし、Kだけど」ちょっとだけダルな声色。ぼくの胃がキュキュッと
収縮を繰り返す。
 「あ、Kサン、さくらです。じつは…きょう、なかはたサンが…」Mに説明
したときよりもかなりスムースにシンプルに説明ができた、ハズだ。受話器の
向こうのKさんは沈黙したまま。ホテルの天井を仰ぎ見るぼく。ホテルのロビ
ーは、いつ見ても水族館のようだ。K先輩からの言葉が返ってこない。視線の
先にいる背の高いコンシェルジュの顔がマンボウ見えて仕方がなかった。
 「…やる」
 相変わらずダルな声色のままだったが、Kさんはとろりと、でも明確にそう
答え、つづけてこう付け加えた。「やるしかないでしょ」と。
 ぼくと視線があったマンボウが半笑いを浮かべながらこちらにゆっくりと真
っ直ぐ向かってくる。

つづく

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