リレーコラムについて

「は」に神が宿る

魚返洋平

“Rainy Days And Mondays” という歌がある。
すごく有名。いわゆる「名曲」ですね。
作曲はポール・ウィリアムズ、
作曲はロジャー・二コルズ。
1971年に Carpenters のシングルとして
発表されている。この曲につけられた邦題が
これまた有名だ。

「雨の日と月曜日は」

せっかくの「職業文案家」たちのコラム。
僕が今回書きたいのは、この邦題、直訳に見えて、
神訳(という言葉をいま作った)じゃないですか?
ということだ。
きょう3月5日は雨の日でなおかつ月曜日だったから、
ちょうどいいやと思ったのだ。

さて。この歌の主人公にとって、
雨の日と月曜日は、「陰鬱な日」つながりで
同列に並べられている。そして言うまでもなく、
それは特定の雨の日(たとえば2018年3月5日)や、
とある月曜日(たとえば10年前のあの月曜)じゃない。
これまでとこれから、「すべての」雨の日と月曜日に
気が滅入るのである。
そんなの僕だって同じだが(きょうだってそのうちのひとつ)、
ともかく原題が Rainy Day”s”、Monday”s” と
それぞれ複数形になっているのは
あらゆる雨の日と月曜日を言いたいからだろう。

ひるがえって、邦題である。
“Rainy Days And Mondays”を粗い解像度で
「雨の日と月曜日」と訳すと、原題に込められた
「すべての」のニュアンスが零れ落ちてしまう。
じゃあたとえば複数形を反映して、
「雨の日たち、月曜日たち」はどうか。
ある種の擬人化(による詩情)がトゥーマッチで、
ノイズが先行するだろう。
べたつくし、もたつくし
(余談ながら吉田修一の小説に『日曜日たち』という
連作短篇集があって、
こっちは効果的でかっこいいタイトルだと思う)。

そこで、どうなったかといえば、
世紀の大発見が成し遂げられた(と勝手に推測)。
すなわち、「は」という助詞の発見である。

「雨の日と月曜日は」

ただ一文字、助詞の「は」を付けただけなんですよね。
でも、これによって「雨の日」と「月曜日」の双方が、
「すべての」のニュアンスを獲得してしまった!

なんてアクロバティック(でスマート)な変換だろうか。
まさか複数形を「は」で言えるなんて、神の御業かよ。
それに、この一文字が加わったことで開かれた余白
(この後に何か言葉が続くようにも、言いかけてやめたようにもみえる)
が、物語を感じさせもする。

こういう「は」みたいな言葉が
出てくるかどうかだ、と思う。
翻訳AIがいまよりもっと発達したらどうかな……
いや当分は無理だろうな(と思いたい)。
人工知能がヒトにとっての神になってしまった日には、
話が違ってきそうだけど。

あ、ちなみに、
「雨の日も月曜日も」
という代案だって浮かぶには浮かぶけれど、
圧倒的にキレが落ちることは間違いない、
と潰しておこう。

のっけからディテールのどアップ、みたいな話で
すみません。今週のコラムを担当することになった
魚返(うがえり)です。
「日曜作詞家」(インディーズともいう)をやっていて、
音感や韻律のことはよく考えます。日本語だけど。

金曜まで全5回、どうぞよろしくお願いします。

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