リレーコラムについて

「わかる」だけが正義じゃない。  

橋口幸生

日本在住10年超の、イギリス出身の知人がいます。

日本にありがちなトンデモ英語のコレクションしていて、
街で見つけては写真を撮っているんだそうです。
(悪趣味といえは悪趣味ですね)
 
僕がコピーライターということもあって
広告で使われている変な英語を見つけては、
「ここは文法上おかしいから、直した方がいい」
「ネイティブだったら、この単語を使う」
と提案してくれます。
 
しかし、やはりその英文は、
どう見ても日本ではコピーとして機能しないのです。
 
「うーん、こういうのは英語としては正しくても、
ほとんどの人はわからないよ。
日本人にとってキャッチーではないし、
こういう単語は知らない人も多いよ」
 
と返すと、彼はちょっとムッとした顔をして、
こう言ったんです。
 
「ほらね。
日本人のクリエイターはみんな同じことを言う。
みんなが知らないのなら、
なぜ教えようと思わないんだ?
君たちは人にものを伝える仕事をしているのに、
新しいことを教える姿勢がない。
すごくもったいないことだと思うよ」
 
僕にとって、すごくハッとさせられる発言でした。
 
コピーライターもアートディレクターも
CMプランナーも、もちろんクライアントも。
最初はみんな、人の心を動かしたいと思っている。
 
しかし、企画会議を重ね、
さまざまな事情に悩まされ、
合議制の壁にはばまれるうちに、
いつしか「わかるか、わからないか」という点に、
クライテリアがすり替わる。
説明が増え、注釈が増える。
そして完成した「みんなが、わかる」ものが
世に出ていく。
 
思えば広告発の流行語や、
広告がきっかけでブレイクするタレントが
以前よりずっと減っているように思います。
「わかること」を優先するばかりに、
すでに人気で、みんなが知っているモチーフばかりが
選ばれがちなことも、その一因ではないでしょうか。
 
今年のアカデミー賞外国語映画賞を獲った
「ナチュラルウーマン」という映画があります。
物語冒頭から示されていたとある秘密を
主人公が突き止めるのですが、
カメラはそれを写すことのないまま映画は終わります。
 
不思議に思って調べてみると、
監督は「映画の中に、謎を残すのが好き」と発言していて、
意図的な演出であると説明していました。
この監督は、受け手の想像力を信じています。
 
映画と広告を同列に論じることはできませんが
受け手を信頼するその姿勢には、
学ぶべきことが多いように思いました。
 
ここからは余談です。
上述のイギリス人とは一時期よく会っていたのですが、
そのときのあるエピソードをつぶやいたところ、
Twitterで2万リツイートを超す反響がありました。
 


 
Jumping Jack Flash・・・踊るポンポコリンとか、
しゃかりきコロンブスみたいなものなのでしょうか。

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