卒業アルバム
小学校の卒業アルバムに「30年後のわたし」とかいうコーナーがあって、そこに「僕はコピーライターになりたい」って書いてあったじゃないかよオマエは!、とすごく久しぶりに開かれた同窓会で人差し指を突きつけられ、そそそうだけど、とうろたえたのはコピーライターのことなど何も知らずにそう書いた小学生の自分が恥ずかしかったからでした。
カタカナのが格好良い職業名だという邪念が頭のなかに漠然とあったにもかかわらずデザイナーとイラストレーターという職業しか私は知らず、そんなありきたりではいかん、もっと目新しくなくては感心してもらえない、と、家にあった何かの辞書をめくるとコピーライターという項目があり、広告の文案家とあった。
ここで「文案」を調べればいいものを、横着して、文案とはレタリングのようなものだろうポスターとかに文字を書き込むんだろう看板屋さんのカッコいい版だろう、と勝手に想像し、そういう聞いたことのない職業にすれば目立つだろうと考えた小学生は、そう書いたことなどただちに忘れ、7年後にある放送局の報道局でアルバイトする学生になっており、そのまま3年過ぎたある日デスクに資料室へ行くよう命じられた。
資料室の書棚で、目的の本を見つけ貸し出しカウンターへ向かう途中、「5人の広告作家」という本の背表紙が視界に飛び込んできて、広告なのに作家?と疑問に思い、ついでに借りて仕事の合間に読むと、それはアメリカのコピーライター兼クリエイティブディレクター兼広告会社の経営者たちへのインタビューで、その結果それまで考えなかった広告という仕事について想像しはじめ、広告会社にも履歴書をだしておくか、ということになったのでした。
ようするに大田区立矢口東小学校卒業アルバム上でちょいうけをねらっただけだというのに、11年後大学を卒業するとき第一志望の出版社が入社を許してくれなかったため、私はほんとうに名前の左横にコピーライターと書かれた名刺を他人に差し出す人になったわけです。
こんにちは。迫田です。
あしたから、その本、「五人の広告作家」の話をします。
ADK 迫田哲也
0510 | 2001.09.21 | 5人の広告作家 4 |
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