燃え尽きました(1)
みなさん、こんにちは。今日は災難話です。
それは、フリーになって4年目の
2月の早朝。事務所で徹夜した私は血走った目で
コピーを書いていました。すると、
朝焼けの空を切り裂くように1本の電話が・・・
こんな朝っぱらに何事よ!?
受話器をとった私の耳にとどいたのは、
切羽詰った姉の声。
「気をしっかり持って聞くのよ。
家が燃えちゃったの!今すぐ、帰るように」
ええ〜!? 家が燃えたぁ!?
あ、ちょっと説明しますと、私は三姉妹の真ん中。
姉と妹はとっくに嫁ぎ、当時、私は残りもの。
一応両親と同居だったのですが、事務所のほかに
別宅のようなものがあり、自宅(埼玉)に
帰るのは、週2〜3日という変則的な生活でした。
(娘ばかりの家ではよくあることですが、両親からは
稼ぎ頭として長男のように依存される身の上でした)
話を戻します。姉の話によると、
ウチを含めてご近所4軒が燃えてしまった。
ただし、両親を含めてご近所の人も全員無事に
非難したので、安心しなさい(ああ、不幸中の幸い)。
とにかく、仕事先になんとか連絡をとり、
その日の打合せをすべてキャンセル、
一路、火事現場(ウチ)へ。
あっちゃ〜。見慣れた家並みがお見事!と
言いたいくらいの焼け野原。悲しいというより、
とりあえず笑っちゃえという感じでしたね。
実際、火事現場というのは祭りのような高揚感があって、
デカのみなさんがテキパキ働き、野次馬の方々も
目ランラン。私たち罹災者もかなりハイテンションで、
ブラックなジョークをとばしまくっていました。
でも、こんな不謹慎なことを書いているのも、
とりあえず全員、命に別状なかったからなんですね。
もしも、あの焼け跡の下に逃げ遅れた人がいたら・・・
想像しただけでも耐えがたい。
私は、なにも語れなかったでしょう。
出火時間は、深夜2時頃だったそうです。
両親は、寝巻きのまま裸足で町内会長さんの
お宅に避難していました。
それからは、現場検証の立会いに始まって、
各種手続きやら、焼け跡の始末やら、
家財道具の買出しやら、アパートの確保やら、
も〜、くそ忙しい日々(なにしろ私が長男状態だから)。
そのうえ、土地の境界線をめぐってのお隣との攻防、
血管切れそうになる両親のわがままぶりと、
家を再建するまでの1年半、
悩み多き日々が続いたのでした。
この話、続きます。
それでは、また、あした。
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