リレーコラムについて

トレロ!トレロ!トレロ!

岩崎竹彦

えっと今日は4回目ですね。さらにマニアックな世界になるような予感が、、。

あのヘミングウェイが何度もスペインを訪れたのは、主に闘牛を見てまわるためだったのですが、彼はその成果を『午後の死』『危険な夏』などの作品にまとめています。『日はまた昇る』ではあのパンプローナの牛追いを世界的に有名にしてしまった張本人。あれは闘牛に使う牛を闘牛場に移動させるためのもので、かなり危険なもの。闘牛に使う牛の特長を知らないと、やられます。「牛追いが危険だって、あったりめ〜だ。でも死ぬのはバカなアメリカ人ばかりだぜ」というのがスペイン人の意見。あらら。

イスパノフィロ(スペイン狂)の僕が闘牛にはまったのはつい最近のこと。それまでは主にフラメンコのカンテ(歌)にしびれていました。フラメンコ=踊りというのが日本の常識ですが、フラメンコ=歌というのがスペインの常識。夜な夜な裏町のラブラオ(フラメンコ酒場)に出没してました。

それが一昨年、今の会社に入社する前の人生のシエスタ期間に、マドリッド郊外の街で感動的な闘牛に出会いました。その時の闘牛士はエウヘニオ・デ・モラ。
決して派手な闘牛ではないけど、丁寧にパセをつないでいく正統的な闘牛で、身体のギリギリのところを牛を通していく。途中、コヒーダ(角による怪我)されて身体が宙に浮く。血を流しながらそれでも立ち上がり牛に立ち向かう。「トレロ!トレロ!トレロ!」の声が闘牛場にこだました時は感動でこれまたしびれまくってました。飲んでた安ワインにもしびれてたけど。

それ以来、毎日のように闘牛場に通い、ほかにもホセリート、ミゲル・アベジャン、ファン・バウティスタなどの素晴らしい闘牛士たちのファエナを見て、どっぷり闘牛漬けの夏を過ごしました。

闘牛なんて日本とは関係ないと思ってる人もいるかもしれないけど、かつてSさんという日本人の若者が闘牛に挑戦しました。「ニーニョ・デル・ソル・ナシエンテ」(日出づる国の少年)と呼ばれた彼は、その才能を認められながら、ある日の闘牛での怪我で脳血管が破壊され半身麻痺に近い状態に。でも、彼は奇跡的に回復して今でも再起をかけて懸命にリハビリを続けています。Sさんが住むセビージャの街では、彼が道を通ると酒場の中から「トレロ!(闘牛士!)」という彼をたたえる声がかかるといいます。

彼が闘牛界にデビューした時のポスターのキャッチフレーズは、「芸術に国境はない!」だったそうです。スペインでは闘牛はスポーツではなく芸術ととらえられているから。

いつか彼がもう一度、闘牛場へ帰ってきたら、必ず駆けつけたいと思ってます。

今日はここまで。ではまた明日。

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