リレーコラムについて

うずら豆

武藤雄一

このあいだ仕事で、ちょっと差し入れを買っていこう。
ということになり、スーパーの食品売り場へ行きました。
お惣菜コーナーへ行ったとき、僕の足は止まりました。
そこに「うずら豆」があったからです。
うずら豆とは、すこし赤むらさきっぽい、うずらの卵
くらいの大きさで、煮豆として甘く味付けて食べるもの
です。子供のころ、歩いて20分近い幼稚園へ通ってい
ました。その通り沿いに朝早くからやっているお惣菜
屋さんがあって、僕を幼稚園へ送ってくれる母がとき
どき、お惣菜屋さんでお弁当のおかずに、とうずら豆を
買ってくれるのです。お惣菜屋さんには無口だけど
優しい顔をしたおじさんがいて、爪が大きくて、あた
たかそうな厚い手をしていました。お店には大きな
お皿が何枚もあって、それぞれの上にいろいろな色の
煮豆が小さな山をつくっていました。
「うずら豆をください」母がそう言うと、おじさんは
銀色のヘラでうずら豆をすくって、そのあとにもう一度
ほんの少しすくって「おまけ」と僕にいつも言ってくれ
ました。うずら豆はうすい紙に包まれ、そのあともう一度
ろうが塗られた白い紙に包まれ、輪ゴムでパチンと
とめられました。僕が幼稚園にもっていくうずら豆と、
母が家へもって帰るうずら豆。
大小の2つの包み紙を手渡すおじさん。
「ありがとう」と言った記憶はありません。
幼稚園でお弁当のときに紙を広げてうずら豆を
食べるのが恥ずかしかったからです。
ほかのみんなは、ウインナーとかお肉とかカッコイイ
おかずがいっぱいお弁当箱の中に詰まっているのに、
僕は、うずら豆。そんなことがどこか子供心にカッコー
悪く思えたんです。母はうずら豆が好物で、「子供の
頃にお弁当にうずら豆を入れていくのが楽しみだった」
と幼稚園生の僕によく言っていました。
「武藤さん、そろそろ行きましょうか」一緒にいる
デザイナーが僕に声をかけました。東京のスーパーに
あるうずら豆は、きれない透明パックに収められ、
小ぎれいにデザインされたラベルに賞味期限がハンコーの
ように押され、ライトに照らされていました。
うずら豆を発見してから、デザイナーに声を掛けられる
まで、ほんの数十秒のことです。
うずら豆は、僕の母の記憶をもっていました。
こんなふうに僕の記憶をもっている物や音、風景に
突然、出会うことがあります。
ちなみに母は今もとっても元気です。

最後にコラム中に励ましのメッセージを送ってくれた
横山さん、まるさん、サジコさん、LEEちゃん、ぼーさん
ありがとうございます。それから毎回のように
「今日のコラムがまだ載ってないんだけど」と
TELをくれた油井さん、ありがとうございます。

次の人の紹介です。
博報堂の白石さんです。色男です。僕と同じくらい。
理論派だけど、情緒的なコピーでグッと人の心に
入ってくる。打ち合わせが楽しくて、楽しくて、
いつのまのかいい案ができてしまう。僕にとっては
かなり大切な存在です。
リレーコラムのお願いの件、再度確認したところ
「武藤さん、コラム読んでますよ」
「どうですか」
「でもさぁ、秋山さんのコラム、いいよね〜」
「そうですか」
そんな会話をしました。白石さん宜しくお願いします。

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