番外編「変な人たち」
●映像クリエイターがいました。主に企業のPRビデオや展示会などで放映する映像を手がけていました。「ほんとは、もっと美しい映像を撮りたいんや」。飲むと彼はいつもそういってました。女ぐせが悪く、いつもトラブルと借金を抱えていました。日銭を稼ぐための仕事も多くなり、アダルトビデオの撮影にも手を出していました。結局、彼は2000万円の借金を残して自殺しました。借金が原因、と言われてましたが、決して返せない額ではないはずです。「ほんとは、もっと美しい映像を撮りたいんや」。そういっているときの子供のような顔を僕は今でもはっきりと覚えています。
●僕が、出版社から独立しようとしたときに、ちょっとしたトラブルになって、裁判をかけられる寸前までいきました。そのときに、僕をかばってくれて引き取ってくれたデザイナーがいました。出版社からの仕事がなくなってしまうリスクを犯してまで(彼は当時、その出版社からの仕事で生計を立てていたのです)、彼は僕を認めてくれました。それが昨日のコラムに登場した蒸発グセのあるデザイナーです。
●「患者さんの笑顔に元気をもらうなんて言う人がいるけど、そんなのはプロと違う。プロが元気をもらってどうする。元気を与えるのがプロや」と言い切った女性は、障害者介護の仕事をしていました。
●「音が聞こえるような、そんな造形物をつくりたいんです。公園でも、丘の上でもいい。それを見たら、音が聞こえて、ぱっーと世界が広がるような、そんな作品をつくりたい」と言っていた彼女は、耳に障害を持っていました。
●以前、ゴーストライターの仕事をしたときの話。有名なスポーツ選手の自伝を引退発表と同時に発売しようという、よくある企画でした。ところが、発表する前に引退がスポーツ新聞にすっぱ抜かれたのです。プロデューサーとして間に入っていた人物は怒り狂いました。当然、毎日取材をしていた僕たちに嫌疑が掛かりました。そのとき、僕のアシスタントをしていた若者は興行師の息子でした。そこから漏れたのではないか、と騒がれ始めました。結局、その男はぼろぼろに傷ついてこの業界を去っていきました。僕は、そいつをかばうことができなかった。これは、傷として僕が持っておくべき事実です。彼は、その後、中学校で国語を教えているという噂を聞きました。
●昔、事務所をやっているとき、僕の心ない言葉で傷ついて、辞めていった人が何人もいます。
●超メジャーなコピーライターと同席する機会があって、その人の若いときの広告を僕は今でも忘れられない、というような話をしました。すると、超メジャーなコピーライターは少年のような顔をして喜んでいました。メジャーな人なのに、こんな謙虚な気持ちをまだ持ち続けていることに僕は驚きました。
●僕は、トラックの助手、町工場、缶詰工場の倉庫、魚屋など、数々の職を経てこの世界にやってきました。当初は、あたかも時代を動かす当人であるかのような言い分や、広告業界特有の傲慢さ、文化・芸術にすり替えられた論理にうんざりもしました(今でも時々うんざりします。広告ってサービス業でしょ。その誇りを忘れてはいけないんじゃないですか?)。この仕事が自分に合っているのかどうかはわかりません。職業の適性ということでいけば、魚屋の方がぴったりしていたでしょう(これでも腕が良かったのです)。
●でも、結局、この業界で20年近くも仕事をすることになってしまいました。仕事そのものの魅力は、もちろんあります。でも、それ以上に、この業界をめぐる人々の毒性に、僕は惹かれているのかもしれません。
●僕もまた、変な人の一人なのでしょうか?
●生まれ変わってもこの仕事をする?それはわからない。
●でも、今まで僕が出会ってきた人たちに再び出会えるのなら、僕は迷わずこの仕事を選びます。
5日間、つまらないコラムにつきあってくださってありがとうございました。
ご意見、感想を聞かせてくだされば、めちゃくちゃ嬉しいです。
では、また。
次回からは、TCCの中でもたぶん最も背が高い奥田英輝氏(身長192センチ)の登場です。人肌のコピーを書かしたら天下一品。CDとしても抜群で、僕が最も信頼を寄せている人物の一人です。
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