コピーは体力と根性だ。その1
リレーコラム2番バッターの紫垣です。昨年、TCC新人賞を頂き入会しました。こういう時、つい2番バッターとか書いてしまう自分が嫌なのですが、自己紹介がてらにちょっとそのわけからお話しましょう。
何を隠そう、私はガキの頃プロ野球選手を目指してました。野球を始めたのが小学3年生の時で、まさに長嶋が引退した年。リトルリーグに入ったら、サードの選手ばかり2〜30人いた時代でした。野球といえば根性の代名詞のような時代で、私もまた星飛雄馬の世界を追いつづけていたのでした。あの頃は練習中水は飲むなとか、うさぎ跳びでグランド1周!とか、1000本ノックだとか、今じゃ常識的に考えられないような非科学的な練習の日々でした。それも次第になくなり、今じゃ合理的な練習じゃないと選手も動かないようですが、私はなんと高校までそんな根性野球を続けてしまったのです。高校は都立高校。きちんと野球を勉強した指導者がいるわけでもなく、肉体的にも精神的にも成長する貴重な時間を「根性」とともに過ごしてしまいました。おかげさまで高校の運動会では大活躍。みんなが倒れそうになっている長距離走でもクラスのヒーローになったのでした。
しかし・・・。野球部最後の夏の地区大会でなんと1回戦ノーヒットノーラン負け。心の片隅に持ちつづけてきた甲子園の3文字は遥か手前で飛び散ってしまいました。クラスメイトの応援の前でノーヒットで負けた私の心は傷つき、現実がとても厳しく思えました。試合の翌日は初めて学校に行くのが嫌になりました。恥ずかしい・・・。そしていろいろなことに気づき始めました。毎日400本素振りをしていたけれど、これはやればやるほど悪いフォームを体に染み付けていたんじゃないか。毎日死ぬほど疲れて帰っていたけれど、それで野球の練習をしたつもりになっていただけじゃないのか。そう言えば、打撃練習より筋トレの方が充実していた・・・・、などなど。そして幸か不幸か、自分に対する怒りとともに、これまで体に染みつけてきた「根性」に再び火がつき始めたのです。
こうなったら大学でもやってやる。体育会がなんぼのもんじゃい!かくして根性と体力だけを身につけた18歳の私は大学の体育会の扉を叩くことになったのです。(昔の体力がないので明日につづく。)
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