上新庄の青春・立志篇
はじめまして。清水清春です。赤松くんの言ってた「カーリング的恋愛論」もいいなあと思いつつ、まったく関係のない僕の学生時代の話しをしようと思います。たぶんこのコラムの読者の誰も体験していない、めっちゃ暑苦しい学生時代のことを。
今は広島にいますが、僕の出身は福井県三方町という、若狭湾の小さな町です。母は僕が大学に行きたいと言うと「東京は金かかるさけ、大阪か京都やないとあかん。浪人なんかさせられへん。現役で受からんかったら、京都へ丁稚にやる」と答えました。「へ?丁稚て・・・」いや、これは昭和初期の話しじゃないですよ。今から20年ちょっと前くらい。
ともかく親からそんな変なプレッシャーをかけられて合格したのが、大阪市東淀川区上新庄にある大阪経済大学。「よっしゃー、これで丁稚せんでもええ!かわいい女の子と芝生のある広いキャンパスで楽しく語らうんや!」と思いきや、大阪の市内にあるこの大学は、敷地がめちゃ狭い。キャンパスライフに欠かせない芝生なんか、高速道路の緑地帯ほどもありません。しかも、もっとショックだったのが女子学生。1クラス40人ほどで8クラスあったのですが、その最後のクラスに7〜8人、かためられているだけ。「これやったら大阪経済男子大学やんけ」。
しかし、本当の男臭い学生生活は、こんなもんじゃありませんでした。この大学の寮は1回生だけが対象。気楽でいいやと入寮した入学式の前夜、寮出身の先輩方がやってきて歓迎会を開いてくれました。自己紹介を兼ねた隠し芸大会などで大いに盛り上がり、「なかなか楽しくなりそうやん」と部屋に戻った直後、ノックする音が。「しいみずうくうううん?」と顔を覗かせたのは黒ぶちの眼鏡に7・3分け、食いだおれ人形みたいな顔で学ラン姿の先輩でした。そして、まだ入学式も済んでいないこの夜を境に、僕のすてきなキャンパスライフは一気に方向転換することになったのです。(つづく)