初恋の話。
こんにちは。
養命酒という会社で養命酒の新聞広告を作っている岩田純平と申します。
1602年(慶長7年)塩沢宋閑翁は雪の中に行き倒れていた旅の老人を助け、
お礼に薬酒の造り方を授けられます。
それを塩沢は養命酒と名付けました。
それから今年でちょうど400年。今年は養命酒創製400年の年にあたります。
養命酒は家康にも献上され、気に入った家康は日本初めての商標と言われる「飛竜のマーク」
を与えたと言います。
その後、今日まで養命酒は休むことなく造り続けられ、
現在は年間1200万本も売れています。
10人に1人が1年間に1本購入する計算ですから、
すごい商品なのかも知れないなあ、と思います。
初めて、で思い出しましたが、今日は初恋の話です。
僕の初恋は幼稚園までさかのぼります。
僕は幼い頃体が弱く、風邪をひいたり、骨折したり、じんましんを出したり、
その他にも、母が入院して祖父母の家に預けられたり、
単に行きたくなかったり、と様々な理由で幼稚園を休んでいました。
そんなわけで、この頃の思い出はほとんどないのですが、
当時すだしずよさんが好きだったことはなんとなく覚えています。
照れ屋の僕は面と向かって、好きなのだ、とは言えず、
ただただ合法的、かつ強制的に告白できるような場を待っていました。
そして、ついにその機会が訪れます。
七夕です。
僕は七夕の短冊に
「すださんとなかよくなりたい」
と書いて、教室の笹の木に吊るしたらしいのです。
今考えるとこれは、街角の電光掲示板とか、花火の協賛個人メッセージとか、
ラジオのリクエストのメッセージとかで告白してしまうのと同じなわけで、
フツーに告白するよりよっぽど恥ずかしいように思えますが、
短冊で告白しようなどというあざとさは、今も大して変わらないような気がして、
やっぱりね、
とか当時の僕に納得してしまいます。
その後我々がどうなったのかは覚えていないのですが、
覚えていないのだから、別にどうもならなかったんだろうと思います。
すだしずよさんは双児で、しずみさんという妹がおり、
一般的にはこちらの妹さんの方が人気だったと記憶しています。
ちょっと人気薄の方になびくお手軽主義的なところも今と同じです。
とは言いましても、すださんは今アルバムで見ても、黒目がちの抜群にかわいい女の子です。
当時から僕は随分と高望みしていたのだなあ、と思います。
すださんとは幼稚園以降出会ったこともありません。