リレーコラムについて

希望海

眞木準

一枚のCDを、プロデュースした。
先月9月19日、「希望海」というマキシ・シングルで
ソニー・レコードから出版された。
えひめ丸ハワイ沖海難事故レクイエムである。
六本木‘元美少年’男声合唱団が歌い
山口はるみさんの新境地水彩画による涙のように淡い海を
浅葉克己氏が美しいジャケットにデザインしている。

リリースに至るプロセスに逸話がある。
ちょうど一年ちょっと前の8月末に
広告の話をしに、四国松山に呼ばれた。
話の終わりに質問に立った男性がつかつかと歩み寄り
一枚の原稿をとり出した。
見ると詩のようなものが書いてある。
「実は、私、宇和島水産高校のOBでして、
 えひめ丸の慰霊碑建立委員会をやっています。
 その碑文を、自分で書きました。ちょっと見てほしい」

帰京すると、くだんの玉井恭介氏から
新聞切りぬき等、ぶ厚い資料も届いていた。本気である。
この時点で、不思議な偶然その一がある。
その数ヵ月前に、実はえひめ丸の詩を書きかけていた。
合唱団で、えひめ丸の歌をつくろうという声が
練習後のバー話で出たためである。

碑文については、ていねいに手を入れて
玉井氏に送っておいたのだが、不思議な偶然その二は
それから三ヵ月後に起こる。
11月になって、ハワイ・ロケに出張した。
撮影最終日に、ホテルをチェックアウトする間際、
一通のファクスを受けとった。
帰国便に乗り込んでから、開封した。
するとそこには、三ヵ月前に手を入れた碑文原稿に
ほぼ近い文章がしたためられてある。
ああ、確認の為に送っていただいたのか、と思い
ふと宛名を見ると、名前が違う。
あれれ、部屋番号も違う。
差し出し名には愛媛県教育委員会とある。
そのファクスは、私にではなく
慰霊碑建立のハワイ側との会議資料として、
偶然同ホテルに宿泊していた責任者へ送付された書類が
間違って私に流れ着いたものらしい。
窓外を見ると、ちょうど真珠湾上空で
えひめ丸引揚船が目視できた。
鳥肌が立ち、手を合わせる。

思わずノートを開き、原案をもとに歌詞に直した。
その話とともに、三枝成彰氏に相談したところ
何も言わずに、美しい曲を書きあげてくれた。

偶然その三は、ハワイのジェイク・シマブクロ氏である。
氏は、事件の直後、歌を発表した方で
天才ウクレレ奏者である。
来日した彼に、芦ノ湖のイベントで出会った。
歌の話をしたところ、EHIMEMARUの頭文字からとった
Emコードの自作を超絶テクニックで弾いてくれた。

偶然も三度も重なると、それは奇妙な奇然となる。
コピーライターの仕事でも、まれだが時々ある。

歌は、年末12月12日、サントリーホールの
リサイタルで再度演奏される。
前売り券は、なにとぞチケットぴあで。
CDは定価¥1050で、お近くのレコード店で
お求めいただけます。

(コジマレイコから強制バトンタッチのマキジュンでした)

NO
年月日
名前
5836 2024.12.26 小林大 極めるチカラ
5835 2024.12.25 小林大 泣かせるチカラ
5834 2024.12.24 小林大 う⚪︎ちのチカラ
5831 2024.12.23 小林大 コピーのチカラ
5827 2024.12.22 都築徹 包丁
  • 年  月から   年  月まで