リレーコラムについて

俺は生まん 2001

名雪祐平

俺は、あせって分娩室に向かった。
自分のスリッパに突っかかって、転びそうだった。
いまにも生まれそうだった。もちろん生むのは妻なんだが。
出産立会い。初めての経験だった。
容赦ない陣痛に耐えている妻と、分娩室に入る。
いろいろな設備やマシンがある。主役は分娩台。
看護婦さん、助産婦さんが動き回る。
看護婦さんが俺を、お父さん、と呼んだ。
まだ生まれてもいないのに。
次に発せられた看護婦さんの言葉が、さらに意表をつく。
「お父さんっ、分娩台にあがって」
「え ! 」
かたわらでは、ウーウーと、妻が立ったまま何かにつかまり、
もがき苦しんでいる。なのになぜ、俺が? 
も、もしかして、いま妻のお腹にある生命を、俺から出せるのか?
それができたら取材殺到。TVクルー呼んで来い。世界生中継だ。
奇跡だ。スーパー・イリュージョンだ。
看護婦さん、引田天功? しかし俺の体のどこに、
出せる穴があるっていうのか。どーするどーする、天功 !
時間はせまっていた。
「早く」
せかされ、俺は観念してスリッパを脱ぐ。
と、妻が、俺の後に続き、分娩台に上がってきた。
天功は、イリュージョンをやめたらしい。
俺はただ、妻の体勢に肩を貸すだけだった。
俺の世界講演旅行のたくらみは、消えた。

さて。

わたしの思い出には、なつかしい歌がインプットされているの……
と書くと、
いかにも美しい思い出に、美しい歌がついてくるもんだと
自動的に思いがちであーる。甘ーい。
みなさーん、そこに罠があーる。
(自分で書いててアレだけど、この語調、なんか腹立つな)

たとえば。
2001年、俺の娘が生まれた。
歳をくって、困るのが、なかなか歌を憶えられないという問題。
たいせつな思い出を色どるテーマソングが、
少なくなるということだ。悲しい。
娘が生まれたころ、流行っていた歌で、憶えているのは一曲しかない。
氷川きよし 『箱根八里の半次郎』 (涙)
しかも、サビしかわからない。
将来、娘がモノゴコロついたころ、どうすんだ。
「お父さん、お歌、うたって」
「何、歌う? 」
「えーと、わたしが生まれた時、はやった歌 ! 」
「それはどうかなあ。別の歌でもいいんだよ」
「ううん。生まれた時の歌 ! 」
「そうかい。本当にいいのかい? 」
「うん ! きっと、すてきなお歌でしょ」
「“やだねったら、やだね〜”」
「ウギャー ! ウギャー ! ウギャー ! (ひきつけ・号泣)」
やっぱり悲しい。

その意味で幸運だったのが、前回コラムでも書いたけど、
小学六年の、肺炎で入院したときの、南沙織 『純潔』
病院のベッドの上から、小さなテレビで聴いた
『純潔』を確かに憶えている。
NHKのど自慢だった。そのころは、トップアイドルも
のど自慢にゲストで出て、歌っていた。
本日のゲストは村田秀雄さんと南沙織さんです、みたいな
すごい組み合わせが成立していた。
いまだったら、ただの奇策でしょうが。
紅白は年一回のお祭りだけど、毎週だよ。
いま、のど自慢にモー娘。が出るか? 
伴奏するバンドマンより人数多いぞ。関係ないけど。
スマップが出るか? 
カッコ良すぎて、客席のバアちゃん、鼻血だすぞ。失神するぞ。
救急車走りまわるぞ。また関係ないけど。

話がずれましたね、終わっちゃお。

………………………………………………………………………………………………………………
・ふう。一週間のおつきあい、ありがとうございました。ちょっと疲れました。でも楽しかった。
・掲示板に書き込みしてくれた方、ありがとう!! やっぱ、うれしいなあ。来週、レスしますぜ。
・前回、タイトル「静かの海」の後に、「1972」を入れるの忘れてしまいました。反省。
 ま、大したことないですね、でも、すんません。

・さて、来週からは、リクルートの男前、中道康彰さんにお願いしました。
 あくまで噂ですが、昔、ワルだったとか。(いまも?) 
 中道さんの求人コピー「アホに頭を下げていませんか。」は、いまでも胸にズキンときます。
 では、中道さん、よろしく ! みなさん、それではまた !

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