「字」の話
小霜和也
たぶん僕のクリエイティブ原体験、
「字」の話をしてみます。
幼い頃から字がヘタで、四十になったいまでも幼児のような字しか書けません。
みみずがのたくった・・・というか、まあ、僕の字は少なくとも書き手の教養が感じられる類ではありません。
父が達筆だったこともあり、よく較べられては「なんでお前はこんな字しか・・・」という母のため息を千回は聞きました。
ワープロなどない時代には、文章は100%自分の字でいくしかありません。
字は、昔から僕のコンプレックス四天王のひとつでした。
博報堂に入社してコピーライターをやるよう命じられ、初めてコピーというものを書いた時のことですが、トレーナーの安藤輝彦が原稿用紙を取り上げてまじまじと見、こう言いました。
「おまえはええ字を書くのう。」
は?
てっきりコピーの内容でなんか言われるのかなと思い面食らってた僕に、さらに、
「プレゼンボードは小霜の字でいこう。」
と重ねてくるではないですか。
当時、プレゼンボードというものは写植屋さんが打った文字を拡大コピーして、スプレーのりでB2ボードに貼り付ける、という手作業で作っていたのですが、僕がマジックで書いた文字を拡大して貼ると言うのです。
なんで僕の字がいいんですか、と聞くと、わりと達筆な安藤さんは
「おれの字はヒトのこころに緊張を強いる。おまえの字はのう、ヒトのこころにスキマをつくる。」
と言いました。
僕の中で、それは天地が逆さまになる大事件でした。
それまで僕は「字」というものについて、うまいか、ヘタか、という二元論でしか見ていなかったのですが、なんと、ヘタな字が10万円の写植よりずっと価値があるというわけです。
ためしに(資生堂 新シャンプー開発のご提案)などと書いてみたら、
「おお、ええのうええのう。」
ということで、じっさいにそれでやってみると得意先もなんだか喜んでくれてうまくいき、それからマックというものが一般化する頃まで、しばらく僕の字でプレゼンをしていました。
いまも僕のヘタな字は大活躍で、プレイステーションのスローガンにときどき手書きのものがありますが、そのほとんどは僕がサインペンでちゃちゃと書いたものを取り込んで使ってます。
タイポグラフィ料はもらえてませんが^^;
思うに、僕は字の一件を通して物の見方を知りました。
生まれて初めて「眼が開いた」ということでしょうか。
無価値なものの中に価値は潜んでいるかもしれない。
大事なことは、気づくか、見過ごすか、である。
振り返ると、子供の頃鉄棒の逆上がりできなかったことやいまでも玉葱食べられないことや、無価値でくだらないことが人生で重要な役割を果たしていたかもしれない。
世の中のこともそういう眼で見ると、本質はなんなのか、ほんとうの価値はなんなのか、を自分なりの愛情とともに深く認識できるようになってきました。
ゲームの価値ってなに。
暇つぶし?いやちがう。僕が思うには、ほんとうは・・・
アルコールの価値って?コンピュータの価値って?
歯磨きの価値って?おならの価値って?人生の価値って?
僕は東大法出身ですから、この業界に入る時は親から猛反発を喰らいました。
でも官庁や銀行の先輩に
「おまえの字はのう、ヒトのこころにスキマをつくる。」
などと言ってくれる人がいたとはちょっと想像つきません。
きっと、常識の檻の中で、世の中の真の色すら見分けることのできない人生を歩んでいたでしょう。
クリエイターが、いわば石ころの山に砂金を見いだす「目利き」のようなものとすると、人生の価値を確かめながら生きてゆける、その力を与えてくれたこの業界に感謝しています。
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