古い話。
古い話が好きです。
「三國志」が愛読書と言ったら、おっさん臭いですか?
というか、じっさいにおっさんなんですけど、10代の頃から古い物語が好きでした。
現代人の知恵はなんだか貧しい知恵であるように感じます。
考えているようで、情報をいじくっているに過ぎない気がするからです。
物言わぬ天と地に向き合い、無から真理をつむぎだした先人の知恵や言葉からは豊かさが感じ取れます。
古典は気持ちを豊かにしてくれるだけでなく、その精神はビジネスにも有効に活用できます。
たとえば僕は漢文の授業で習った「塞翁が馬」という話がお気に入りです。
爺さんの飼っていた馬が逃げてしまった。
村人が慰めに来ると、爺さんは
「これはいいことの前触れじゃ。」
と言います。
春になって、馬は雌馬をつれて帰ってきます。
するとこんどは
「これは悪いことの前触れじゃ。」
と言います。
雌馬に乗った息子が落馬して骨折します。
するとこんどは
「これはいいことの前触れじゃ。」
と言います。
脚が悪いおかげで、息子は戦争に取られずにすみます。
僕は自分の事務所を「サイオー」という名前にしようかとすら思いましたが、友人の
「結局はプラマイゼロって話だからゲンがよくない。」
という忠告を容れてやめました。
確かにこの話では爺さんは運命に受け身すぎますが、ものごとの吉凶はわからないという話は真理であると思います。
僕は再プレになると、心のどこかで「しめた」と思います。
もしかしたら、最プレになったおかげでもっといい表現になるかもしれないと、いい方に考えるからです。
トラブルが起きると、トラブルを逆手にとってなんかトクしてやろうと企みます。
日本の企業で「天下り」というと官庁からのものを指しますが、欧米では軍からの天下りが少なくないようです。
欧米企業の競争力の強さは軍事ドクトリンを注入しているからだという話がありますが、そのうち世界で最も古く、最も素晴らしい指南書は「孫子の兵法」でしょう。
ここに書かれていることは現代でも立派に通用しますし、広告業界の人も、特にCDや営業さんは知っていて損はありません。
少し例を挙げると、
「勝敗は戦う前に決まる」
というものがあります。
競合プレゼンの勝ち方で最も素晴らしいのは「デキレース」で勝つことでしょう。
以前、僕のチームとDチームが二日に分けてプレゼンする、ということがありましたが、プレゼンしたその日の夜に得意先から「小霜君の企画でやりたい。」という連絡がありました。
まだ明日Dのプレゼンがあるんじゃ?と言うと、
「ああ、期待してないし。」と。
競合相手には失礼な話ではありますが、そういう勝ち方がやはり最高なわけで、どうやってそこまで持っていくか、ということです。
少なくとも競合において僕は「おもしろさ」に頼ったりしないよう心がけています。
たぶん得意先も気に入ってくれるだろう、というあやふやな希望的観測でプレゼンするのは愚です。
9割勝てるという見込みで勝率半々、というのが競合プレゼンというものだからです。
「戦って勝つは下、戦わず勝つのが上」
というものもあります。
競合プレゼンに勝つより、そもそも競合に「しない」ということでしょう。
「天の時、地の利、人の和」
まさしく、何においてもこの3つこそが重要でしょう。
「三國志」にも、感銘を受ける言葉はあります。
「泣いて馬謖を斬る」
などが一般的に有名ですが、
「智者は智に滅びる」
という言葉は、全てのCDが覚えていて損のないものでしょう。
昔サントリーで、ロジックも表現も完璧なプレゼンをしたつもりだったのですが、佐藤雅彦さんの「ピコー」に負けてしまいました。
その時は、なんじゃそれは!?と憤慨したのですが、プレゼンのパフォーマンスなどの様子を聞き、それは負けたかもなあ・・・と、その巧みさ、気持ちのつかみ方に感心しました。
後日プレイステーションの競合で、また佐藤さんとぶつかることになったのですが、自分の頭の良さに過信気味だったことを反省した僕は、表現の土俵で戦ったら負けると思い、あえて地味で実直な施策プレゼンをして獲りました。
「士は士を知る者のために死ぬ」
という言葉を僕は、自分の力を認めてくれる人のために力をふるうべし、というふうに解釈していますが、僕の仕事の基本スタンスです。
元上司の安藤さんは僕をおだてるのがひじょうにうまく、
「このコピーが書けるのは小霜以外におらんやろ。」
とか、そんなふうに言われると、なんか書かないわけにいきません。
得意先、代理店の営業さんなど、僕を信用してくれる人を僕も信用します。
おだてられるといい仕事をします。