リレーコラムについて

一生に一度の写真

桜木浩一郎

僕の大好きな弟は、
生まれつき脳性マヒで
ことばをしゃべることができません。
でも、明るくて、好奇心旺盛で、
知能は幼いままだけれど、
やさしい、気の弱い、いいヤツです。
ひとつ年下だから、記憶のある頃からずっと弟がいます。

小さい頃、両親、姉、弟、僕の家族5人で動物園に行ったとき、
弟はホンモノの動物たちを目の前にして
ことばにならない声を上げて大喜びしていました。
でも、そんな様子も他人には珍しいらしく、
近くにいた若いカップルが
「なんだあの子ども」
と、弟を嘲笑する会話が耳に入りました。
僕は悔しくて仕方がなかったけれど、
何も言い返したりはできませんでした。
正月に初詣に行けば、いつも願い事は
「弟がことばを話せますように」
だったけれど、それで何が変わるわけでも
ありませんでした。

これまで弟の面倒は
両親、特に母にまかせっきりだったこともあり、
せめて何かしたいと思って、3年前だったか母の誕生日に、
弟を連れてドライブに行きました。
思えば、弟と二人きりで遠出するのは
生まれて初めてのことでした。
助手席に弟を乗せて、富士サファリパークへ。
クルマの中から見る、ライオン、トラ、キリン、バッファロー・・
弟はとても楽しそうだったけれど、子どものときと違って、
びっくりするくらい行儀良くしていました。
それは、クルマを降りてからもそうで、
アシカのショーを見るときも、昆虫のコーナーに入るときも、
レストランで注文が来るのを待つときも、本当に行儀良くしている。
おみやげ屋さんに入ったとき、黙って僕の腕をぐいぐい引っ張るから
一体どうしたのかと思ったら、プリクラをとりたがっている。
自分から、静かに列に並んで、じっと順番を待っている。

成長したんだなあと、とても驚いて、とてもうれしかったんですが、
僕にはふと、へんな疑問が湧き上がりました。
弟は、「自分はことばが話せない」ことを知っているんだろうか?
もどかしさを感じるんだろうか?
本当は、「自分はことばが話せない」ということばすら持たないのだから、
そのもどかしさや苦しさを知らずに生きているはずなんだけれど、
でも本人の心の中は、知る術がありません。きっと永遠に。

帰り際、駐車場の向こうが小高い丘になっていて、
二人で上っていくと、そこがだだっ広い原っぱになっている。
5月の澄み渡った青空。何にも遮られていない富士山。とんびの声。
なぜか弟と僕しかいない、二人だけの原っぱ。
そよ風がふわっとやって来た、そのときです。
弟が両手を空に向かってかかげました。
そして、そのまま、動かない。
バンザイしたまま、本当にずっと、動かない。
「気持ちいいね」
そんな弟の「ことば」が伝わってきて、
僕は涙が止まりませんでした。
弟があまりにも長くそうしていてくれたから、
そのときの姿は、写真に残っています。

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