リレーコラムについて

20年後の名古屋話

伊藤健志

ボクの担当は、今週からでしたが、入力が早すぎて、先週金曜日から始まってしまいました。しかも、読み返すと誤字もあり、なんとも情けないばかりです。スイマセン。
で、お約束した名古屋の話。ボクは、業界でもけっこうめずらしい名古屋大学出身で、それまでは、ずーっと名古屋育ち(実際は、愛知県尾西市というかなりマイナーなところですが)。そこを巣立って、ほぼ20年がたったわけです。年に数回帰るのですが、名古屋の街は、それなりに様変わりして、驚いて、これが所謂時の流れというヤツでしょう。ところが、自分が接する名古屋の人たちの意識は、そんなに変わってない様子。ボクのように飛び出してきた人間とは、溝ができ、どんどん疎遠になっていくような気がしてなりません。もちろん、ボクの態度の方に問題はあるのでしょうが。
ここのところ、名古屋商法がもてはやされたりしている。不況に負けない確かで堅実で合理的な経営ということのようだ。いまだ健在な実家の婆ちゃんは、ボクが借金をすることを本当にいやがる。金がいるなら出してやると、タンスの奥の方から、札束を引っ張り出してきそうな勢いで、ちょっとこちらが戸惑ってしまう。そして、二言目には、「タケシ、早く帰って来い。早くウチのたんぼに家を建てろ」だ。つまり、目の前に存在するものしか信じない。大きな夢にかけたりしない、ということだろうか。
誤解を恐れず言うならば、やっぱり名古屋は、閉鎖的なのだ。閉鎖的ゆえに刺激は少ない。だが、そこに身を置くと、本当にやさしくて居心地がいい。ボクも年に数回その誘惑にかられて、帰省する。そして、ちょっとした隔たりと居心地の悪さと、本当にそれでいいのかと自問自答を繰り返し、また東京に戻ってくるのだ。
さらに言えば、そんな名古屋こそ、もっとも日本らしい日本だと、ボクは思う。外圧からは堅く身を閉ざし、居心地のいいシェルターで安穏と暮らす。国際化が叫ばれ、アジアのリーダーを掲げても、そのスピードは、やっぱり遅い。日本は、地球の名古屋なのだ。
大学時代に国史(日本史)を学び、今でも洋画より邦画、海外旅行より国内温泉旅行に魅かれるボクは、ずーっと自分の立ち位置を探しているような気がしてならない。それはきっと、ボクの中の名古屋がさせているのだろう。それこそが、切っても切れない、僕の中の真っ赤なコユイ(濃い)名古屋の血だがや。
またまた、個人的なしょーもない話になりました。次回は、震災をはさんで5年ほど暮らした、関西の話に
でもしましょか。

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