突然ですが、将棋の話
毎回送信した後、誤字を発見しては、ああ直せないものかと地団駄を踏む、プロらしからぬ伊藤です。このへん何とかなりませんかねえ事務局の方、と言っても自分の所為か。今日でやっとお役御免です。ああ、よかった。で、何にしようと困りに困って、たいして役にも立ちませんが、週刊将棋を毎週愛読するボクですから、将棋の話にでもいたしましょう。
実戦をする相手もほとんどいないので、もっぱらパソコン将棋のボクですから、棋力は低いのですが、将棋界を気にして見続けるだけでもホント面白い。もちろん、将棋は静かに進むし、勝ったからといって絶対に派手なガッツポーズは見られない。でも一人一人の棋士の意地や駆け引きやこだわりや生き様は、さながら格闘家、あるいはプロスポーツ界と何ら変わりない。いや、かえって静かな戦いゆえに、その奥に秘められた闘志は、余計に激しく感じられたりもする。
たとえば、指し手。ここぞと駒が割れんばかりに激しく打ちつけたり、かわすように音も立てずに静かにすべらせたり、時間に追われて慌てて指して駒が乱れ飛んだり、それをたしなめるように静かに直したり。その一手一手は、ボクサーにおけるパンチとも言える。
たとえば、時間の使い方。最初から息もつかずに指し進めていったり、突然大長考に沈んで4時間も動かなくなったり、最後の秒読みに入って両者とも先が見えないまま叩き合ったり。その時間の使い方は、自分の都合だけでなく、相手を錯乱するための駆け引きだったりもする。さながら、野球のバッテリーのサイン、相撲の仕切のように。
たとえば、戦形の選択。将棋の純文学と言われる「矢倉」の戦い。新たな工夫によって再び採用され始めた「四間飛車藤井システム」。最初は奇襲戦法かと思われたがあっという間に将棋界を席巻した「中座飛車八5飛戦法」。ほとんど定跡のない未知への戦い「合振り飛車」。などなど。それらは、サッカーのフォーメーションとも言えるが、相手に応じて何を選ぶか、自らの得意な土俵に引き込むか、あえて相手の得意戦法を叩きに行くか、その選択も面白い。
そして、棋士気質の世代間の違い。かつては、棋士にとって「将棋は人生」だった。生き方そのものを賭けた戦いだった。だから、盤上のみならず、日頃の言動、立ち居振舞い、人との交流、飲みっぷりも含めて勝負だった。それを大きく変えたのは、羽生善治世代の登場。羽生にとって将棋とは、真理の追究だと言う。数学の問題を解くように、勝つための道程を最初の一手から最後の一手まで見定めようという姿勢。つまり、彼にとって、「将棋は最高のゲーム」なのだ。ひょっとして広告界もそんな感じ?と思ったりする。広告黄金期の尻尾の尻尾に触れて、今や若い人たちに背中を押されるボクなどは、パラダイムシフトの間にもがいているのかも知れない。
ああ、疲れた。愚にもつかない話におつきあいいただき、ありがとうございました。来週は、コピーライター界の風吹ジュン(文責:伊藤健志)、広瀬純子さんの登場でーーーーす!
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