蛍のこと
源氏蛍を見た。生まれて二度目の経験だ。
先週、伊豆の熱川へ行ったのだけれど、蛍が見られますよ、と旅館で教えてくれた。なんでも蛍キャンペーンをやっているそうで、送迎バスもあるという。場所は、伊豆大川駅のそば。となりの駅だ。雨もなんとか我慢してくれていたので、行ってみることにした。
伊豆大川駅の裏山がその場所。行ってみれば、闇の中を飛び交う光。なんとも幻想的で、確かに美しい。あちらこちらから歓声が上がる。地上に出てたった2週間の命、と聞けば、蛍への感情移入はさらに高まる。
♪〜限りある命、燃えつきて。あんたのために、光る私〜♪
演歌な作詞家になるのもわるくない。
蛍、見たさにたくさんの人が集まってきていて、このキャンペーンは一応の成功を見せているようだった。ガンバって。
考えてみれば東京にもその昔、蛍はいたんだろう。しかし、椿山荘を除けば、いまの東京に蛍はいない。いないとなれば見たくなるのが人情だ。
手に入らない、食べられない、入れない。希少価値が売れる時代なのだ。殊に都会人はここに弱い。ブランドの起因もここにある。
希少価値を所有することは、差別化である。でもその差別化は標準化への始まりであることは気づきづらい。業界の人も希少価値に対する思い込みは強く、大きい。
仮に蛍が東京で繁殖していたらどうだろう。蛍は昆虫だ。夜な夜な網戸をくぐってきては、部屋の中を飛び回る。暗い寝室を尻に明かりをつけた小さめのゴキブリが飛び交うと思えばいい。蚊より始末に悪くはないか。風流なもんですないやはや、なんて眺める人が何人いるだろう。テレビでは「ひと噴きすれば、蛍がばたばた死んでいく」蛍コロリの15秒がゴールデンを飾るのじゃないか。
わからないのは、希少価値である。