リレーコラムについて

明石町SLタワー日誌(その2)

中山幸雄

特に根気のある性格とも思っていないが、
もうすぐ「10年日記」を書き終える。
90年1月1日から始めた日記が
99年12月31日をもって終了することになる。
続いたコツは、中身にある。
少年や思春期の頃の日記は叙情的な内容だから
自分が叙情に飽きてしまえば、そこで途切れる。
僕の「10年日記」は叙事的に書きつないだのが
飽きなかった唯一の理由なのだ。
と言えばおおげさだが、なんのことはない、
毎日飲み食いしたものが具体的に書かれている
だけなのだ。

正確には僕の発明ではなく、作家の池波正太郎さんの
発案だ。池波さんは自宅で仕事をする。池波さんの
食事の支度をするのは奥さまだ。
執筆が佳境に入ると奥さまが書斎にやってくる。

「きょうはなにを召し上がりますか」

いちいち尋ねられるのはわずらわしいし、
かといって自分の望まぬものは食わせられたくない。
池波さんは一計を案じ、食日記をつけることにした。
やがて一年、二年とたまった日記を奥さまに見せるだけで

「ああ、いま、これ旬だったわね」

とか

「そういえば、この献立、しばらく登場してないわ」

と察してもらえるようになり、
食べ物にやかましい池波さんもおおいに満足したとの
逸話が残っている。
池波さんの食日記は、奥さまとのコミュニケーションの
ツールであり、自分ののぞむ食事を会話することなく
手に入れる実用品だったわけだ。

僕の場合は、この日記を見せたところで
中山佐知子がいそいそと食事をつくってくれるわけ
ではない。およそ実用品とは言えない。
言ってみれば自分の偏執狂の部分の一表現であり、
誰にも迷惑をかけないかわり、
誰の役にも立たないしろものだ。
おもしろいのは、ときどき友達が遊びにやってくると
この日記をパラパラめくっていることがある。

「3年前に遊びに来たとき、私、なに食べたっけ」

などと他人の日記で自分の記憶を確かめている。
不思議なもので、書かれているメニューを眺めている
だけで、そのとき誰とごはんを食べていて、
どんな会話をしていたかまで思い出すことがある。
胃袋が記憶しているというべきか。

そもそもこの日記を書き始めたのも暇つぶしの一つ
みたいなものだが、10年前、ちょっと体調を崩して
いたこともきっかけだった。やっかいな痔に
悩まされていてえらい睡眠不足になったり、
ヒサヤ大黒堂に駆け込んでお金をたくさん使い、
またも中山佐知子にバカにされていたのだ。
やっぱり毎日毎日お酒を飲んでいるのもよくないん
だろうし、食べ物だって脂っこい物や辛い物が好きで、
野菜をロクに取らないのも悪かったんだろうなぁ。
クリエーティブの仕事をしている人間は
身体に悪いことばっかりやっている。
いいアイデアを神様からいただく代償に
自分をいじめてバランスを取っているような
マゾヒステックなところが僕にもないとは言えない。
せめて毎日自分が飲み食いしたものを書いておけば
ときどきドキッと反省して、少しはまともな生活に
なるのではないか、とそんな期待もどこかにあった。

ちなみに先日、バリウムと強力下剤でやられた
定期健康診断の結果も出て、同年代がみんな悩んで
いるγーGTPも中性脂肪の数値も問題がなかった。
これはこの数年の結果をみてもそうで、
看護婦に採血されながら「まぁ、きれいな血だこと」
と誉められるのが、僕のちょっとした自慢だ。
「10年日記」も健康面では実用品になっている。

そんなこんなで僕の「10年日記」ももうすぐ二冊目
に入る。90年代に僕が飲み食いしたものはすべて
一冊の日記に書かれている。これだけの食べ物、
飲み物が自分の身体を通過し、現在の自分の全細胞を
形づくっているという事実は個人的には感慨がある。
ミレニウムが終わろうと、21世紀が近づこうと
自分が飲み食いしているものに今のところ
たいした変化はない。

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