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以前、名古屋に転勤していた時、NさんというADと仕事をしていた。
その当時で、もう50歳くらいだったか。
この方、かなりガンコな方で、それこそ「這っても黒豆」、
なかなか御自分の「説」を曲げない。
しかも、その「説」は明らかに誤りであることが多かった。
→「アレはコレだからソレなんだよ」
←「でもNさん、コレがソレだからアレなんじゃないですか?」
→「いや、違う」
←「でも、コレがアレだとソレにはならないですよ」
→「いや、でもアレはコレだからソレなんだよ」
←「……う〜ん、そうかも知れないですねえ」
最後は「根負け」に近い。
いや、こっちも、その「決めつけ」に押されて、半ば「納得」さえしてる。
しかし、この「納得」に至るまでには、2度ほどの反論が重要な役割を
果たしていた。
やはり、いきなり「納得」はできない。2度ほど反論して、
それが押し返されることで安心して「納得」に至れる。
そして、このパターンを反芻していくうちに、
反論している最中から、さらには、最初に誤った「決め付け」を
聞いたときから、
「ああ、このあと自分は納得するんだ」という期待感を抱き、
案の定、その「型」にハマッていくのが快感になっていた。
ある時の、私の3つ上の先輩とNさんの会話。
→「アレはコレだからソレなんだよ」
←「ああ、そうですよね」
先輩は、決して即座に納得したわけではなく、疲れていたのか、
いつものお決まりのパターンを踏むのがメンドくさかったようだ。
その時のNさんの反応。
→「……そう言うなよ」
初めて見た、気弱なNさんであった。
送り手も受け手も、決まった「型」をなぞることが快感になっていく。
泣くぞ泣くぞと思っているところで、ちゃんと泣ける快感。
伝統芸能の多くがそうでしょうし、「水戸黄門」なんかも。
そして「型」があるからこそ、それを破ったときに大きなエネルギーが
生まれ、新しい世界が開ける。
世の中、そういうことなんでしょうな。
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