「言葉」は死んだ?
「同情するならカネをくれ」
「だっちゅーの」
「雑草魂」
「おっはー」
「IT革命」
「マニフェスト」
「チョー気持ちいい」
「品格」
「今でしょ!」
「お・も・て・な・し」
「じぇじぇじぇ」
「爆買い」
「インスタ映え」
「そだねー」
「ジコチュー」
「明日があるさ」
「へぇ〜」
「萌え!」
「脳トレ」
「ファストファッション」
「〜なう」
「こだまでしょうか」
「終活」
「保育園落ちた日本死ね」
「半端ないって」
「タピる」
当時、ついつい口に出していた言葉、
一つ二つはありますか?
一時期狂ったようにじぇじぇじぇと言ってた僕は、
いまでも「おっはー」は使ってしまう。
これらは流行語として賞を取った、
もしくはノミネートされた言葉たち。
カラオケで懐かしい曲を入れると、
ついついテンション上がってしまうように、
その言葉を聞くと、
ついついその時代の空気を思い出してしまう。
多かれ少なかれ、言葉はいつだって、
世の中の空気をつくってきたらしい。
それが政治家の言葉、
アスリートの言葉、
お笑い芸人の爆発的ヒットしたギャグ、
ドラマの名ゼリフ、
女子高生のあいだの流行、
ブログのタイトル、
人気キャラクター、
あらゆる人があらゆる経緯で生み出した言葉が、
人々のあいだをかけめぐっていく。
そんな言葉の力をいつまでも信じたいし、
同時に、どこまでも疑っていきたいというのが、
個人的ポリシーだ。
10年ぐらい前、大学2年か3年の時に、
コピーライターという職業を知った。
ぼんやりとどんな仕事したいかなーと考えてた時、
キャンパスの向かいの青山ブックセンターで、
「広告クリエイターの素」という本をたまたま開いた。
デザイナーではなくデザイナーみたいな仕事したい(?)
よくわからないけど、
そんな事を思っていた自分にとって、
この出会いは衝撃だった。
他の科目は全然できないけど、
現代文だけは得意だった。
思えば、小中高と、なにかの企画タイトルや、
ネーミングみたいなのを考える役だった。
その勢いで、親にローンを組んで、
コピーライター養成講座に通った。(ベタですね!)
もうあんまり思い出せないけど(笑)
いろんな大御所の方たちが、いろんな言葉で、
いろんなことを教えてくれた。
そのなかに、衝撃的だった言葉があった。
「コピーライターはいい言葉を考える人じゃない。」
神谷幸之助さんの言葉だった。
神谷さんはちょっと声が小さいけど、
その衝撃発言は、稲妻みたいだった。
「いい言葉を考える人じゃなくて、
面白いこと、いいことを考える人であるべき。」
衝撃だった。コピーライターは、
いい言葉を考える人だと思ってたから。
そしてそのあと、3.11がやってくる。
ちょうど就職活動が始まろうとするタイミングで、
日本は完全に止まった。
ただでさえ自分の将来どうなんねんってときに、
世の中全体が止まった。
あの得体の知れない巨大な不安は忘れない。
その頃ちょうどTwitterを始めたばかりだった。
Twitterで、たまたま近くにいた友人たちを集め、
6人で居酒屋に入り電車が再開するのを待った。
まだ事態の悲惨さに気付いてなかった。
けど、すぐに仲間と待ち合わせできた。
始めたばかりのtwitterがありがたかった。
そしてあの期間、Twitterには、
たくさんの、人々を勇気付ける言葉があった。
だけど同時に、言葉の無力さもたくさん漂っていた。
言葉だけではどうにもならないことが、
あまりにも多かった。
たくさんの人が、言葉だけではなく、
行動で、ものづくりで、仕組み作りで、
人を救おうと、空気を変えようとしていた。
神谷さんの言葉と、3.11の空気で、
コピーライターという「肩書き」を目指すのではなく、
面白いことを考え、つくる人になる、と心に決めた。
今までできっと、
こんなにも世の中が見透かされる時代はなかった。
若いかそうでないか、
新しいか古いか、
本物か偽物か、
男か女か、
そういうあらゆるボーダーが、
ただの記号だけになって、
本当の意味で、中身が見える、
中身が問われる世の中になった。
もちろんそうでない場合もあるけど、
言葉と行動のボーダーも溶けてきた。
世の中は白か黒かじゃなくて、
グラデーションだってことに、
みんなが気づき始めた。
何を思い、何を考え、
何を口にするのか。
と同時に、
どんなふうに頭を使って、
どんなふうに手を動かすのかまでが、
切り離しにくくなった。
コピーライターにとって、きっと、
こんなに難しい時代はないだろう。
同時に、
こんなにやりがいのある時代もないだろう。
全人類がライバルだし、
全人類が批評家だし、
全人類が同業者みたいなもんだ。
いまの空気は、3.11を思い出す。
どうなるかが見えない。
終わりのない不安とストレスと、
常に戦っているような感覚で、
少しずつ何かが目減りしていく感覚もある。
このタイミングで自分には何ができるか、
とついかっこつけて構えてしまうけど、
まずその目減りしていく何かを食い止めるだけでも、
立派に戦ってる。
この状況を前に、
あまりにも言葉は無力だし、
それでも言葉は救いになる。
どこまでも言葉で希望を作っていきたいし、
同時にどこまでも絶望もしつづけていきたい。
この淋しさを この淋しさを
どうか優しさに変えてゆきたい
どうか優しさに変えて届けたい
くるりの「三日月」という曲の歌詞にあるように、。
言葉でも言葉でなくてもいいから、
マイナスもプラスも、プラスに変えたい。
ずっとずっと、
面白いことを考えて、
つくる人でいつづけたい。
=====================
「コピーライターはいい言葉を考える人じゃなくて、
面白いこと、いいことを考える人。」
あの言葉の衝撃から10年。
はじめて新しい名刺にコピーライターと書かれた。
この一言で自分の人生の方向性を変えてしまった、
そして、今週もzoomでたくさんミーティングした、
神谷幸之助さんに、
恐れ多くもバトンを渡したいと思います。
KKさんよろしくお願いします!