泣いたら負けだと思ってた
次のバトンを誰に渡すか決めることは
私にとってはつまり
「今だれの文章が読みたいか」
ということで、
そうするともう真っ先に浮かぶ方はひとりでした。
都築徹さんです。
都築さんは、
コピーライターならきっと一度は、
いや、何度も痺れているであろう名作、
東海テレビ報道部のTVCM
あのフォーマットを最初につくった方です。
「戦争を、考えつづける」シリーズが
TCC賞とACC賞をダブル受賞した年、
私は名古屋で都築さんの部にいました。
仕事を一緒にする中で、
「俺、教えたりとかそんなにできないからさ」
と言いながら、いろいろなことを教えてくれた都築さん。
コピーを見てもらう時間はこわくて震えたけれど
お世辞を言わない都築さんに「ある」と言ってもらえると
それはそれは自信になりました。
でもひとつ、ずっと後悔していることがあります。
名古屋から東京に帰任が決まって
都築さんが部の送別会を開いてくれたときのこと。
飲み会だと思ってついて行ったら
行き先は名古屋駅にほど近い商店街にあるギャラリー。
中に入ると、真っ白な空間に
都築さんと、一緒に東京へ帰任するアートディレクターの江口と、私で
数年担当していた、ある企業の広告が展示されていました。
(なんと、クライアントにも許諾をとってくださっていました)
送別会かと思ってたら、展示会。
作品みたいに壁に並んだポスターやCMの先に、
都築さんからのメッセージも飾られていて。
感極まってもおかしくない場面なのですが、
この時の私は泣かなかったんです。
今思うと謎なのですが
「仕事で泣いたら負け」という思いで生きており、
送別会だと話は変わるはずなのに
泣きそうなのをなぜかめちゃくちゃ我慢して
乗り切ってしまいました。
帰り際に都築さんや部のみなさんに「泣かせらんなかったな…」と
言われたのがずっと心残りでした。
(これを機に「あれ?泣いてもいいかもしれない」と思い立って
所属局の送別会では普通に泣きました)
都築さん、あのとき泣けなくて、すみませんでした。
いただいたメッセージボードは今もちゃんと家に置いてます。
さて、
「俺、教えたりとかそんなにできないからさ」
と言っていた都築さんは今、電通を卒業して
名古屋にある女子大で先生をされています。
ここ数年、夏に行われる都築ゼミのキャンプに
私も参加させてもらっていて、
学生たちから慕われる都築さんにお会いできるのが
いつも楽しみです。
クリエイティブディレクター・コピーライターから大学教授へ。
これまでとまったく違う環境で
若い世代と渡り合うのって、どんな景色なんだろう。
そんなことを聞いてみたくてバトンを渡します。
都築さん、よろしくおねがいします。
(たった2回の更新を読んでくれた方、もしいたらありがとうございました!)
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