息子が黙ってない
「ぱぱ、ちんちん、ある」「まま、ちんちん、ない」
記念すべき初めての3語文をドラゴンボールの悟空のように息子が発したのは今年の4月、2歳になる少し前のことで、それからはもうしゃべるわ、しゃべるわ、しゃべればしゃべったってしゃべられるし状態である。堰を切るとはこのことか。んまーうるさい。うるさめんこい。
発展途上であるが故に、その言葉づかいはことごとく僕の意表を突く。まことに示唆に富む。示唆とめんこさをコトコト煮詰めたような息子である。
一緒に散歩していて「鳥が鳴いてるね」と話しかけたら「えーん、えーん」と泣くまねをする息子。
「車に気をつけてね」と声をかけたらいきなり立ち止まり「ぴっ」と言って「気をつけ」の姿勢をとる息子。
妻が頑張って用意した料理を口にして満面の笑みで「あじするね〜!」とコメントする息子。
あーなんだそれそんなのありか。言葉が融通無碍か。野田秀樹脚本か。父ちゃんその言葉づかいに嫉妬してしまうよ。そんな風に書いてみたいよ。
息子とのやりとりが言葉中心になって数ヶ月が経った。息子と会話が成立することはたいへん喜ばしい。成長を感じてじーんときちゃう毎日である。
だが、ふと思ったのだった。
僕は今、息子の存在そのものではなく、息子の言葉と向き合っている感じがする。
つい数ヶ月前まで、言葉が通じないぶん僕は、息子の表情や、仕草や、発する音や、体温や、その他もろもろすべてに対してアンテナをビンビン立てていたのではなかったか。そして、こちらからは言葉を使って語りかけながらも、言葉以外に使えるすべてを動員して伝えようとしていたのではなかったか。
僕は、つい最近まで触れることができていた息子の存在そのものが、薄皮いちまい隔てて手の届かないところへと遠ざかってしまったような気がしたのだ。
息子の言葉はまだまだ不完全だ。それだけに日々、こちらはコミュニケーションのプリミティブなところを揺さぶられている感覚がある。
これから息子の語彙は増加の一途を辿り、言葉はますます複雑に入り組んでいくだろう。上手いこと言ってくることもあれば、嘘をつくようにもなるだろう。
でも僕は、今のこの感覚を、既に失いかけてしまっている感覚をなんとか失わずにいたい。おぼえておきたい。言葉を超えてこちらの本気を見透かしてくるような息子の存在そのものに、本気で向き合い続けていきたいと思うのだ。
まじめか。ちんちん。
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