だって筆箱のことをペンケースって言うから。
ここはニュージーランドの首都オークランド。
家族旅行で訪れていた僕はこの時、
浅黒く眼光が鋭い男の前で必死に「英会話」をしていた。
浅黒く眼光が鋭い男はバスターミナル駅の職員で、
僕が彼の前にいる理由は「財布がない」からだ。
治安が良く、人も優しいことから、
小さな子ども連れでも旅行しやすいニュージーランド。
そのことに気が緩んでいたのか、
僕はジーンズの後ろポケットに財布を入れていた。
しかしどう考えても、スられたとは思えない。
人混みには行っていないし、誰かにぶつかられてもいない。
散々に考えた挙句、導き出された答えが「市バスで落とした」だった。
ただ確信はない。
なくした者の責任として、僕はバスターミナルにて、
浅黒く眼光が鋭いニュージーランド人と向き合っている。
観光客相手のお土産屋ならいざ知らず、
バスターミナルの職員に日本語を話すスキルは無い。
こちらを観光客として歓迎するそぶりも見せない。
けれど財布の行方は確認しなければならない。
もちろん英語だ。実戦だ。
「エ、エクスキューズミー?」
「ハロウ」
不機嫌そうな挨拶だ。
「マ、マネーケース。マ、マネーケース」
「ホワッ?」
これをお読みの真っ当な教育を受けた方には信じられないかもしれないが、
この時の僕は財布の英語を「マネーケース=money case」だと思っていた。
理由はタイトルの通りだ。
「マ、マイマネーケース、ヒア?(My money case, here?)」
「???」
さらに人として最低なのだが、
この時の僕は目の前の浅黒く眼光が鋭いニュージーランド人を差別的な目で見てしまった。
「きっと何かしらの理由でちゃんとした教育が受けられず、
故に財布の英語も知らず、それでも頑張って社会に出て働いているのだろう」と。
英語を話す相手に抱く疑問ではないと、今ならわかる。
「ドゥユーノゥ、マニケイス?(Do you know money case?)」
「?????」
自分なりにネイティブっぽくしてみたが、まったく伝わらない。
こんなんじゃダメだ。こんなんで家族旅行を台無しにしてどうする。
「コイン!ペイパー!カード!イン!マイマニケイス!」
誰か有能な言語学者がいたら教えて欲しい。
ちゃんとこれで伝わった。
そして財布は誰かが届けてくれていた。
素晴らしい国だ。
「サンキュー、ニュージーランド! サンキュー、マニケイス!」
僕はその時、確かにニュージーランドの出川哲朗だった。
日本へ帰国し、驚いたことがあった。
財布の本来の英語「ウォレット(=wallet)」という表記は、
街の中に溢れていた。
雑貨売場の財布コーナーには「新作wallet」。
輩(やから)が腰に付けているのは「wallet chain」。
auには「au WALLET」があり、
iPhoneのホーム画面にも「Wallet」がある。
気づかないうちは全てが「無」だ。
それに気づけただけで、僕の人生は素晴らしい。
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