ビッカースタッフ脳幹脳炎②
すぐにはわからず混乱しました。
稀勢の里が初優勝していました。
片足の痺れがひどいため、ぜんぜんうまく立てない日々が続きます。
脳神経内科の病室はベッドが6つ。
同室のみなさんは、脳梗塞で入院されている方が多く、
自由時間にこっそりタバコを吸って、
看護師さんに思いっきり怒られているおじいさんもいれば、
僕より若いまだ学生さんのような方もいました。
(ものすごく訛りの強めな東北弁で看護師さんの電話番号を聞いてたおじちゃんもいたなあ。)
毎晩、寝るときは不安が襲ってきました。
こんな状態で復帰なんてできるんだろうか…。
進めてた仕事はどうなったんだろう…。
不安を紛らわしてくれたのは、iPhoneで聞いていたラジオでした。
中でも、野村訓市さんの「Traveling without Moving」という番組から
流れてくる音楽には助けられましたし、その番組のおかげで
今日は日曜日の夜なんだ、ということが理解できました。
ラジオからはもう1つ、驚いたことがあります。
ある日、自分が書いたコピーがラジオから流れてきました。
それも2つ。一つは企業のタグラインとして。
もう一つは、樹木希林さんのナレーションとして。
普段あまりラジオの仕事を担当しない僕が、
このタイミングで2つ流れてくるなんて。
そうやって1ヶ月以上過ぎた頃、
僕の二重に見えていた視界に、すこしずつ変化が起こります。
毎日ほんのすこしですが、像が1つに向かい始めてきたのです。
自分の体の中に起こった小さな快方の兆しを逃すまいと、
リハビリのモチベーションがさらに高くなります。
もともとスポーツが好きだった僕は、朝と夕方、コソ練をすることにしました。
病室の、ロの字をした廊下を歩く練習です。
コソ練といっても、ナースステーションの周りなのでちっとも隠れていませんが、
1周およそ60メートルの廊下を今日は10周、明日は15周、次の日は20周、と増やしてゆき、
何分で歩いたかをメモしてゆきました。
20周で1.2km。
「自宅から駅までの距離は歩けるようになった!」
と、退院した後のことを勝手に想像しながら歩きました。
この頃になると、リハビリの難易度も高くなります。
「バランコ」と呼ばれる半球のボールの上に乗っかり、
バランスを取りながら理学療法士さんが投げてくるボールを
キャッチして投げ返したりします。
日常生活でこんなシチュエーションないだろうと
心の中でツッコミつつ、サーカスの象になったような気持ちでひたすらにボールを投げ返します。
13秒以内がひとつの目安でした。
理由は、それより遅いと、信号が青のうちに渡れないから。
僕は次のリハビリ専門病院に転院することになります。
自分では「もう社会生活送れるよ」と思っていましたが
いま思い返せば、歩けばすぐに息切れするし、
視野はすこし二重に見えているし、「A」のタイピングはできないし、
いろいろまだまだでした。
(それまでは、点滴があって簡単なシャワーしか使えませんでした。)
でも、全自動ハイテク一人風呂、気持ちよかったです。
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