リレーコラムについて

人のイメージはあてにならない、という話。

和久田昌裕

「きのうはいそがしくてサボっちまった!ゆるしてくれよ!な!な!」

はい→「ありがとう!」

いいえ→「そんなこといわずにさ!ゆるしてくれよ!な!な!」※一行目へ戻る

 

おはようございます。

昨日は13日の金曜日だったので、コラムが書けませんでした。

というのは嘘ですが、13日の金曜日といえばジェイソン。

そしてジェイソンといえばチェーンソーですが、

実はジェイソンは一度もチェーンソーを使ってないそうです。

 

ね、イメージってあてにならないですよね。

ちなみにクッソどうでもいい情報として、ジェイソンって無名の馬がいたそうです。

 

まぁそれはともかく、幸いにも3連休に突入しましたので、

この休みの期間をアディショナルタイムということで、

コラムを書かせていただきます。勝手にルール変更すみません。

 

子供の頃なりたかった職業はなんですか?

 

僕は今思うと、ゲームデザイナーになりたかった。

今思うと、というのはそういう職種があるのを当時は知らなかったから。

 

今は子どもでもスマホやタブレットなど当たり前のように

デジタルデバイスに触れていますが、当時は最新のゲーム機器ですら

アナログ機器に近かった。あ、最新のゲーム機器って何をイメージしました?

プレステ?スーファミ?広告好きの方はセガサターン?

立派なおじさんの僕は、もちろん初代ファミコンです。

 

あの頃は良かった、なんて懐古主義に浸るつもりはありませんが、

ファミコンの初期のゲームには黎明期の制作者たちの、

いろんな苦悩だとか試行錯誤だとかが詰まっていた。

 

例えば国民的ロールプレイングゲームであるドラゴンクエスト。

第1作の終盤にダースドラゴンという敵が登場しますが、

ゲームの初期デザインの設定では、ダークドラゴンだった。

でも、ソフト容量の都合上、カタカナの「ク」が使えなかったらしく、

妥協してダースドラゴンにしたらしいのですが、

何か強そうな雰囲気と、逆にオリジナリティが生まれてていいですよね。

事実、その後使える容量が増えても、シリーズ通してダースドラゴンは

ダースドラゴンのままで、さらに強敵であり続けた。

 

ちなみに僕が小学校高学年の時に出た、シリーズ4作目(DQ4)のウリは

「容量がデカイこと」と「世界初のAI搭載」でした。

その容量なんと4MB!今ならスマホの写真1枚分、とか思うかもですが、

これ、バイトじゃなくてビットですからね。ビットはバイトの1/8。

つまり、0.5メガバイトです。今の写真一枚にも満たない。

 

その中にまー、ライアンとホイミンの美しい師弟関係とか、

アリーナ姫を守る健気な忠誠心と淡い恋心とか、

トルネコの商魂と妻の愛とか、モンバーバラの姉妹の復讐心とか、

ピサロがデスピサロになる悲劇とか、いろんな物語が詰まっていた。

そしてAIは、バカだった。

「クリフト!そいつにザラキは効かんて!!!」

 

まぁでもAIの思考プロセスってのは、今も昔も変わんないのかもしれない。

先日うちのAIスピーカーに「JPOPかけて」って言ったら

犬のおまわりさんが流れはじめましたからね。いつの時代のPOPミュージックだよ。

 

って、枕の話が長くなりすぎました。

 

和久田家においてのルールとして、ファミコンは土曜日の午後だけ、

と決められていました。週休二日になる前の、土曜日は午前授業だった時代です。

授業が終わるととにかく急いで家に帰り、弟・聡とともにテレビの前に正座して

ファミコンのスイッチを入れる、というのが毎週のルーティンだったわけですが、

週に何時間かのプレイ時間では、ドラクエみたいなゲームはなかなか進まない。

当時コンビニはおろか、通学路に信号の一つもなかった玉名に刺激的なコンテンツなんかないし。

そこで、月曜から金曜までの時間を使い、効率よく攻略するための情報を集めるわけです。

 

ネットなどなかった時代、情報源といえば友人の口コミでした。

あのモンスターにはこの魔法が効くらしい。

ピラミッドのあそこを調べれば、すごいアイテムが手に入るらしい。

すぐに逃げ出すメタルスライムは、画面を指で抑えればいいらしい。

たまにガセネタをつかまされ、それを信じたバカ兄弟がブラウン管の前で涙を流す。

みたいな二次被害も多々ありましたが、それも含めて楽しい思い出です。

 

そしてその月曜から金曜まで集めた情報を書き溜めていくノート。

それを眺めながらアレコレ想像している時間が楽しかった。

ただ、やはり時間は腐るほどあるので、徐々に想像だけじゃ物足りなくなってくる。

 

当時、ファミコンの副産物として流行っていたものに、

ゲームブックというものがありました。

ここで「あー懐かしい!」と思った方は、立派なおじさんです。仲良くしましょう。

 

今でいうライトノベル?みたいな文体と、途中で出てくる選択肢。

それによってストーリーの進行が変わり、途中でバッドエンドになったりもする。

日本のテレビゲームを基にしたものも多く発売されていましたが、

日本語化されていない海外のゲーム由来のものとかは雰囲気が怪しげで、

ある種ホラーやサスペンスの小説を読んでいるようで、

そしてとにかくめんどくさかった。

「魔法力が6以上なら45ページへ、未満なら80ページへ」

とか書いてあるんですが「以上」とか「未満」とか、数学的概念の大半は

教科書より先に覚えましたからね、ゲームブックで。

 

まぁそんなのばっかり読んでたり、あれこれ妄想してたりすると、

いつしかいろんな情報を書き溜めていたノートが、

自作のゲームブックみたいに変わっていくのにそれほど時間はかかりませんでした。

もうお気づきかと思いますが、立派なオタクの完成です。

 

そしてそういう志向で集まってくる数人でグループらしきものを形成するのですが、

まぁ、クラスの中では最下層民ですよね。罷り間違っても女子に相手なんかされない。

ちなみに当時、スクールカーストなんて言葉はもちろんなかったのですが、

僕は勝手に、学校のヒエラルキーを4段階に分けていました。

 

グループAは、ドッジボールが上手いもしくは足が速い人。

グループBは、ちょいヤンキー。万引き、タバコ、喧嘩上等。

グループCは、絵が上手い人。芸術肌で、描いた漫画がクラス内でバズっちゃう。

そしてグループDは、教室の隅っこで怪しげな紙を囲んでサイコロを振っている人。

そう、Dは「ダイス(サイコロ)」のDです。

 

小学校の高学年から、中学生にかけて数十の自作のゲームを作り、

それを仲間内で集まってプレイする。なんとも暗い少年時代ですが、

そんなDの一族であった和久田に、中学一年の頃、ある転機が訪れます。

 

長くなったので、後半へつづく。

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