勝つために、失うんですか
昨日は、間の存在として書いています、というお話をしました。間の存在で書くものとして、最近悲しく思っていることがあります。それは、愛する言葉がまるで「武器」のように扱われ、相手に勝つためにだけに使われること。
言葉を投げる、言葉をぶつける、言葉で叩く…。そうした言葉で勝ったとしても、その立場はより攻撃的な言葉により奪われるかもしれません。武器としての攻撃力を求める圧力に終わりはありません。武器のような言葉が残すのは、底なしの不安と、言葉がもつ流通力ゆえの殺伐とした社会です。そこに、勝者はいません。
間の存在としての私は、しばしば立場の違う人たちにおける感性の違いを実感させられます。違いをつなぐために働いてくれているのが、言葉です。ですので、人と人とをゆたかにつなぐために言葉を使ってほしいと願ってやまないのです。
かつて私は、ソーセージをつまみながら政治の話をする、「SOW!政治」というイベントを定期的に開いていました。政治について話すとなると、どうも堅苦しくなったり、ともすると論争になったりしてしまいますよね。大事な政治のことをどうにかカジュアルに語れないかということで有志と編み出したのが、ダジャレっぽいネーミングで敷居を下げ、ともに飲み食いしながら語る、という手法でした。そこで大事にしていたのが「対話」です。
運営メンバーであり、ファシリテーションや教育について研究している小笠原裕司さんは、対話についてこう教えてくれました。人と人との会話は、ざっくり、雑談と議論と対話に分けられます。雑談は、その場の気持ちを吐き出すだけの会話。議論は、答えを見出すために意見を戦わせる会話。そして対話は、お互いを理解し合うために相手の話を聞き合う会話だというのです。
「SOW!政治」の参加者にも、この3つの会話の話をシェアして、対話を大事にしてもらうことを約束してもらっていました。違う意見を聞いたときでもすぐに反応せず、味わうようにじっくり聞いてみて、むしろ視点を広げる機会として大事にしてほしい、と。
完璧に意見が合う人など、そうそうはいません。意見が違うとモヤモヤはしますが、ふむふむと関心を持ってみれば、自分にはない視点をのぞくことができます。世界がゆたかになります。手をつなぐような感覚で、言葉をつむいでいきたい。冷え性の手を温めつつ、今日も書いています。
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