新しいは、あらたしい
”新”という漢字がある。
それは訓読みでは「あたらしい」となる。(当たり前だ)
一方で人名では「あらた」となる。(当たり前だ)
でも気づきました?
「た」と「ら」の位置が入れ替わってるんです。
「あたらしい」という単語はコピーで何回も使っているのに。
「あらた」さんという人は周りに何人かいるのに。
先日ラジオで取り上げられるまで
自慢ではないが私はこの事実にまったく気づいていなかった。
そう、私には観察眼がないのだ。
観察眼。
目の前に明白に存在する
些細な異常を見逃さない目。
たとえば、クソが尻から出るものだとすれば、
目尻と目頭は位置が逆だと指摘できる目みたいなこと。
そして私の経験上、ADには観察眼を持っている人が多い気がする。
デッサンなどを通して、モノや事象を見つめ、
徹底的に形や意味を把握する訓練をしているからだと思う。
だからADにコピーを見せるのは嫌なのだ。
自分では気づかけなかった文脈や論理の粗を指摘されるから。
「諸橋さんってメールの誤字脱字多くないですか(苦笑)?」
と後輩ADに指摘され、情けない気持ちになりながら
そんなことを思ったのでした。
5695 | 2024.05.20 | コピーライターの未来について |
5694 | 2024.05.09 | 新しいは、あらたしい |
5693 | 2024.05.07 | 君の名前で僕を呼んで |
4289 | 2017.08.09 | 考えを改めました |
4288 | 2017.08.03 | 友達がいなかった |