空洞をふくらませる
前回のコラムに書いたのですが、
私自身は空っぽなんですが、
卑下しているわけではなくて、
それはそれでいいところだとも思っています。
かの伊丹十三先生も
「私は役に立つことをいろいろと知っている。
そうしてその役に立つことを普及もしている。
が、しかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。
私自身はーほとんどまったく無内容な
からっぽの容れ物にすぎない」と書かれています。
伊丹さんですらそうなんだ!空洞万歳!
メディアの語源「medium」が
「巫女」だと聞いたときも
なるほどなあと思いました。
ふだんは聞こえない声を
理解できる言葉に変換して伝える媒介であり、
化学反応を手助けする触媒であり、
本人は何者でもない。
何者でもないからいいのかな、とか。
昔の人はうまいこと名付けるなあ、と思いました。
そして、これからの広告は、
強いメッセージやひとつの答えを
一方的に企業が押し付けるんじゃなくて、
いろんな声を聞いたり、
みんなと一緒に考えたり、対話できる
「広場」みたいになるのがいいなとも思っていて、
ここ数年実践していて、そういう施策は、
評判もなかなかよかったりします。
そんなことを先日、
新入社員に向けた講義で意気揚々と話したら、
そのあとの質疑応答で新人から
「僕は、みんなに答えを託すんじゃなくて、
たった一つの答えを、
自信を持って発信している企業が好きです」
ときっぱり言われてしまいました。
ガーン!
そしてガーンとなった私はその時、
「何…この子…広告…向いている…」
と思ったのです。
なぜそう思ったかは、次の回で……